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高田潤騎手



プロフィール
【高田潤】
1980年大阪府生まれ。
1999年に栗東・松田博厩舎からデビュー。
JRA通算成績は74勝(10/31現在)
初騎乗:1997年3月 6日 1回 中京7日 1R ヤマカツロバリー(7着/14頭)
初勝利:1997年6月12日 3回 中京7日 1R エアウィンスレット
■主な重賞勝利
・06年神戸新聞杯(ドリームパスポート号)
・02年小倉サマージャンプ(ギフテッドクラウン号)
・01年京都ハイジャンプ(アイディンサマー号)

現役ジョッキーの中でも数少ない平地、障害両重賞勝利騎手。素質馬、実績馬が揃う関西の名門松田博資厩舎の所属として、超A級馬達と日々を過ごす。「名馬の背中を知る男」。




記者‐高田騎手が「騎手になろう」と思ったキッカケを教えてください

高田-「小さいころからハングリー精神が旺盛で、サラリーマンとか普通の仕事はしたくないとは思っていました。馬社会とはまったく関係のない家庭で育ったので、競馬との出会いは中学校ニ年生のときです。競馬の好きな友達がいて、塾の帰りなどにその友達と一緒にコンビニで競馬雑誌を立ち読みしたりして興味を持つようになりました。初めて見たレースはナリタブライアンの菊花賞です。ナリタブライアンはその菊花賞の前走、京都新聞杯でスターマンという馬に負けていたんですが、友達が『絶対に勝つ』というので、『そんなことは無いやろ、競馬に絶対なんか無いやろ』とは思いつつ、普段は競馬に興味もなく馬券を買わない父に馬券を買うことを薦めました。実際に菊花賞でのナリタブライアンの強さを見て、完全に競馬の魅力にハマりました。そして、なんとしても騎手になりたいと思い、自力で色々と調べたところ競馬学校へ入れば騎手になれるということがわかりました」

記者‐中学生でそれほどの目的意識を持った子供も珍しいですね

高田-「常に目立ちたいという目的がありましたからね(笑)。騎手になっていなかったら俳優を目指していたかもしれません(笑)。当時の競馬学校は授業料も生活費も支給されましたし、その点も魅力的でした。中学三年から乗馬を始めましたが、馬に乗るためにはお金がかかる。自転車で45分かけて通い、馬に乗るためのお金を乗馬クラブの馬房を掃除するアルバイトで稼ぎました。大体、10馬房くらい掃除して、なんとか一回馬に乗ることができました。競馬学校は体重43キロ以下でしか受験資格が無かったので、当時45キロあった体重を減らすため、毎晩カッパを着て走っていました。競馬学校は700人くらいの受験生がいて合格するのは10人ほど。まさか受かるとは思っていなかったものの、後悔だけはしたくなかったですね」

記者‐高田騎手は平地と障害の両方のレースに乗ってらっしゃいますが、レースに臨む心構えは違いますか?

高田-「障害の場合は危険度が特に高いので、馬の癖をつかんでおくことが大事ですね。事前にレースで乗る馬に調教でも跨がるようにしています。ちょっとしたことで落馬の危険があるわけですから」



記者‐障害レースでは重賞を5勝されています。障害レースの魅力を教えてください

高田-「障害レースに乗る騎手は、常にドキドキしてレースを迎えています。レースが始まってしまえば冷静になれますが、ファンのみなさんにも緊張感を持ってレースを見てもらえたら、障害レースの違った面が見えるかも知れませんね。実際のレースでは、強い馬は自然と先行する形になります。それは飛びが上手いか下手かで差が開くからです。一度のジャンプで1馬身から2馬身の差がつきますからね。ただ、飛びが上手くて引っ掛かる馬は後ろから行ったほうがいいので、そんなところも注目してください。あと障害レースでは、平地で未勝利の馬が、オープン馬にあっさり勝つこともある。そんなところも障害レースの魅力だと思います」

記者‐海外では障害レースが盛んですが、日本との違いを教えてください

高田-「中山グランドジャンプ(JGI)を3連覇したカラジの調教を中山で見たんですが、調教にかける時間の長さに驚きました。日本の調教時間の2倍くらいの時間をかけています。あと調教から厩舎へ戻るときに、騎手が下馬して手綱を持っていなくても歩いてついていく。そのおとなしさにも驚きました。海外の障害馬は障害血統もあるくらいで、デビュー戦から障害専門の馬ですから、日本の馬ではなかなか歯が立たない状況ですね。ただ、いつかは日本馬で障害レースの最高峰であるグランドナショナル(イギリス)に挑戦して完走したいです。田中剛騎手が挑戦しましたが、まだ完走した人はいませんからね。史上初を狙っています(笑)」

記者‐昨年はドリームパスポートで平地重賞を初制覇されました

高田-「皐月賞(2着)の時は、レース前から頭の中が真っ白で覚えていないです(笑)。その点、神戸新聞杯(1着)ではメイショウサムソンがいたため1番人気ではなかったし、放牧から帰ってきて期間が短いこともあり、状態も動きもあまり良くないと思っていました。レースの当日までは比較的冷静でしたね。ところがレース当日のパドックで跨ったところ、ガラっと状態が変わっていた。一流馬の凄さを感じましたね」



記者‐仕事をする上でこれだけは気をつけているということは?

高田-「挨拶です。馬に乗る以前に、人として当たり前なことですね。技術的な問題よりも人としてということです。これは競馬学校に入ったときから徹底しています。騎手はプロであり、表に出る人間です。馬を実際に世話しているのは厩務員さんであり、牧場の人であったり裏方さんですから。そういった方達への感謝も忘れてはいけないと考えています」

記者‐2007年2月11日の京都競馬第4Rで落馬し重傷を負われました

高田-「体はもう大丈夫です。落馬してから3日間ほど意識がなかったらしく、僕自身は1週間ほど記憶がありません。どういうレースをして落馬したのかさえ覚えてないんです」

記者‐今後の抱負をお願いします

高田-「ケガだけはしないことと、もう少し成績を上げたいことですね。今年はケガの影響もあって未勝利(取材日現在)ですが、馬を世話してくれている厩務員さんや応援してくれているファンのためにも、なんとか早いうちに1勝したいです」

★取材日=10/31
★取材場所=栗東・御園寮インタビュー室