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松岡正海騎手



プロフィール
【松岡正海】
1984年神奈川県生まれ。
2003年に美浦・相沢厩舎からデビュー。
JRA通算成績は201勝(08/04/09現在)
初騎乗:2003年3月 1日 3回 中山1日 12R プラチナウィンク(14着/16頭)
初勝利:2003年3月23日 3回 中山8日 12R デュエットシチー
■主な重賞勝利
・07年ヴィクトリアマイル(コイウタ号)
・08年弥生賞(マイネルチャールズ号)
・08年フラワーC(ブラックエンブレム号)

07年のヴィクトリアマイルをコイウタで制し、デビュー5年目にしてGIジョッキーの仲間入りを果たす。若手騎手の代表格で、関東の次世代を担う存在と見る関係者も多い。




記者‐松岡騎手、お忙しいなか有難うございます。よろしくお願いします

松岡‐「よろしくお願いします」

記者‐まずは、松岡騎手のオークス・ダービーに関する思い出をお聞きしたいんですけど、印象に残っているレースはありますか?

松岡‐「自分が乗っていないレースでもいいですか?」

記者‐はい

松岡‐「そうですね、ダービーで、レースの映像として記憶に残っているのは・・・96年のフサイチコンコルドですね。ダンスインザダークが先に抜け出したところをフサイチコンコルドが差して来た、そのシーンをよく憶えています。まさかコンコルドが勝つとは思わなかったんでビックリしました。このダービーの前の年に、キャリア2戦目でイギリスのダービーを勝った『ラムタラ』っていう馬とコンコルドのイメージが重なって、余計に印象に残ったのかもしれないです」

記者‐フサイチコンコルドは、このダービーがキャリア3戦目だったので「和製ラムタラ」という呼び方をする人もいましたね。ちなみにジョッキーは藤田伸二騎手で、当時24歳でした

松岡‐「僕、今23歳ですから、ほぼ一緒ですね。僕も今年勝てるかな(笑)」



記者‐藤田騎手といえば、以前、競馬雑誌のインタビューで「松岡騎手はいいものを持っている」と評価されていましたが、その記事を松岡騎手はご覧になりましたか?

松岡‐「それ、読みました。藤田さん、他の取材でも結構そうやって言ってくれているみたいで嬉しいです。でも『こんなに評価されたら、下手な乗り方は出来ないな』とか『藤田さんの顔に泥は塗れないぞ』と思って、ちょっとプレッシャーになったりもしましたけど(笑)」

記者‐(笑)評価してくれている藤田騎手に応えなければいけない、と。普段も藤田騎手とよく話したりされますか?

松岡‐「はい、会えば絶対話しますね。デビューした年から目をかけてもらっていますし、乗り方で分からないところがあったら、相談しています」

記者‐そうですか。他には誰によく相談をしますか?

松岡‐「特に誰って決まっているわけじゃなくて、万遍なく聞きますよ。関東の騎手に聞く事の方が多いかなっていうくらいで、ホント、みんなに聞きます」

記者‐松岡騎手もデビュー6年目で、若手騎手から相談を受ける事も多くなってきたんじゃないですか?

松岡‐「いや、そうでもないですよ。煙たがられているのかな(笑)」

記者‐後輩騎手に厳しく接しているんですか(笑)?

松岡‐「全然。僕はどちらかというとそんなに干渉しない方だと思います。聞かれれば答えるっていう感じですね」

記者‐松岡騎手の後輩になった気持ちで「東京の芝2400mはどう乗れば良いですか」っていう質問をさせていただきたいんですけど

松岡‐「えー、東京の2400mに限らず、特に『このコースだからこう乗らなきゃ』っていう意識は無いですけど、最後の直線が長いから、やっぱり折り合わないとキツいです。早目に先頭に立っても、馬によってはソラを使っちゃったり、遊んだりするんで、折り合いに気を付けて、追い出しを我慢したいですよね。残り200mを切るくらいで先頭に立つのが、ちょうど良いかな、と。まあ、その時のレース展開によって違うから、一概には言えないですけど。どこのコースであれ、騎乗馬の良さを引き出すように乗るのが大事なことだと思います」

記者‐そうですか。話は戻って、ダービーで印象に残っているのが96年のフサイチコンコルドという事ですが、オークスで印象に残っているレースは?

松岡‐「うーん、オークスっていうくくりとは違いますけど、僕、3歳牝馬っていうとファイトガリバーが思い浮かぶんですよね。桜花賞を勝った馬なんですけど、カッコ良かったなあって。オークスではエアグルーヴに負けちゃったんですけど、エアグルーヴよりインパクトがありました」

記者‐ファイトガリバーも96年のクラシックで走っていた馬ですね

松岡‐「何だか僕の記憶ってその年で止まっていますね(笑)」

記者‐(笑)昔のレースの方が映像を鮮明に覚えているっていう事はありませんか?

松岡‐「あー、それはありますね。ライスシャワーが内で粘った天皇賞とか、ファビラスラフィンとか。あの当時、マル外は本当に『短距離馬』って印象が強かったから、秋華賞とジャパンカップであんなに走るとは思いませんでした」

記者‐松岡騎手が憶えている一番古いレースは何ですか?

松岡‐「ヒダカハヤトの金杯!」

記者‐(笑)渋いですね、94年の金杯ですよ。当時おいくつだったんですか?

松岡‐「94年の1月だから・・・9歳ですね。父がたまに競馬をやっていたんで、その影響で観るようになって。周りに競馬を観ている友達は全然いなかったんですけどね(笑)。だから今で言うオタクですよ。完全に競馬オタク(笑)」

記者‐(笑)同級生は全く競馬に興味が無かったんですね。松岡騎手の出身地は「神奈川県」となっていますが、どの辺りですか?

松岡‐「小田急線の柿生駅の辺りです。ちょっと行ったところに東京競馬場があったんで、父に連れて行ってもらったりしましたよ」

記者‐競馬以外の趣味は何か?

松岡‐「野球をやっていました。僕、横浜ファンなんですよ。あまり周りにはいませんでしたけど(笑)。で、子供の頃は、土日に試合が多かったから、競馬中継をビデオに撮って観ていましたよ。イシノサンデーが勝った皐月賞の時は、放送終了ギリギリに家について、エンディングに流れるゴール前の映像だけ観ました。それ観て『ロイヤルタッチじゃないのか~』って(笑)。ロイヤルタッチが勝つと思っていたんで」

記者‐(笑)その頃から騎手になろうかな、という考えはありましたか?

松岡‐「当時はあまり意識していなかったと思いますけど、今から考えれば『これしかない』っていう感じだったんじゃないですかね。もともとサラリーマンになるつもりは無かったし、お金持ちになりたかったんで『騎手は稼げる』っていう話を聞いて、いいな、と。それで中学校3年の時に競馬学校の願書を出して、試験を受けて。競馬学校の試験は、もし落ちても普通の高校を受験出来るように、早めにやるんです。合格した後はみんなが受験をしている中、のんびり過ごしていました(笑)」

記者‐(笑)その後、競馬学校に入学された時のお話もお聞きしたいのですが、なにぶん時間に限りもありますので、それはまた次の機会にお聞かせください。次の質問にまいります。今、松岡騎手が欲しいものは何ですか?

松岡‐「そうですね・・・時間とヒマですかね。時間とヒマは『お金をたくさん持っている』って事と同じくらい大事なんじゃないかと思います。まあでも、バランスですよね。忙し過ぎるとお金を使うヒマも無いし、お金が無くてヒマでもしょうがないし。ちょうど良いバランスになればいいんですけど、まず無理ですから(笑)。競馬の仕事をしていると連休が無いので『ちょっとゆっくりしたいな』と思う事もありますけど、休みがないのはみんな一緒だし、しょうがないです」

記者‐では、最後の質問になりますが、仕事をするうえで気をつけている事がありましたら教えてください

松岡‐「ルールを守って馬場を使うって事ですね。自分一人で馬場を使っている訳じゃないので。危ないですからね、勝手な動きをしたら。自分だけじゃなくて、人にケガをさせる可能性もあるので、ホント、そこは注意しています」

記者‐分かりました。これからもケガに気を付けて、素晴らしいプレーを見せてください。今日は有難うございました

松岡‐「有難うございました」



★取材日=08/04/09
★取材場所=美浦・南スタンド