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吉田豊騎手



プロフィール
【吉田豊】
1975年茨城県生まれ。
1994年に美浦・大久保洋厩舎からデビュー。
JRA通算成績は709勝(08/04/16現在)
初騎乗:1994年3月 6日 2回 中山4日 2R チャーリーブラボー(12着/14頭)
初勝利:1994年3月 6日 2回 中山4日 5R エリモハヤブサ
■主な重賞勝利
・02年オークス(スマイルトゥモロー号)
・97年オークス(メジロドーベル号)
・04年阪神ジュベナイルフィリーズ(ショウナンパントル号)

名牝メジロドーベルとのコンビでG1を5勝をあげるなど、若くしてその才能を開花させた。胆の据わった大胆な騎乗が、関係者の間でも高い評価を受けている。吉田隼人騎手は実弟。




記者‐吉田豊騎手のオークスとダービー、それぞれの思い出について聞きたいと思っております。本日はよろしくお願いいたします。吉田騎手はすでにオークスを2勝されていらっしゃいますよね。一番最初がメジロドーベル。競馬ファンなら誰もが知っている名牝ですよね

吉田‐「そうですね。2歳チャンピオン(当時の阪神3歳牝馬Sを優勝)になって、その後、チューリップ賞(3着)と桜花賞(2着)で負けていたんで、何とかしないと思っていました」

記者‐オークスの時には、期するものがあったんですね。

吉田‐「そうですね。勝てて、ホントにホッとしました」

記者‐そういえば、メジロドーベルで勝った阪神3歳牝馬Sが、吉田騎手の初めての重賞勝ちですね。

吉田‐「まだデビュー3年目と若かったですね。桜花賞と同じ舞台だったんで『来年を見据えた競馬を』と、先生(大久保洋吉調教師)に言われていました。だから、阪神3歳牝馬そのものでどうこうと言うよりは、先に繋がるレースができれば…という気持ちが強かったです」

記者‐桜花賞を見据えてのレース。どんなところに注意して騎乗されましたか?

吉田‐「末脚が切れる馬だったんで、折り合いをつけることに注意していました。スムーズなレース運びができれば…と。あの時はシーキングザパールという抜けた馬がいましたけど、外車(外国産馬)のため、クラシックの出走権は持っていませんでしたから、他のクラシック出走候補馬との力関係を計っておきたい、という気持ちがありました」



記者‐折り合い、2歳同士の力関係など課題をすべてクリアしての勝利

吉田‐「そうですね。道中も折り合いがついて、いい感じでレースが運べたし、直線で思ったよりシーキングザパールが伸びなかったんで、アレレ?と思って。気がついたら先頭に立っていました。ゴールを駆け抜けた瞬間は『やった~!!』という感じで、嬉しかったですね」

記者‐他のジョッキーがGIを勝った時「頭が真っ白になった」というコメントも聞きますが、吉田騎手はいかがでしたか?

吉田‐「う~ん、真っ白にはならなかったですね。ホント、素直に『やった~!やったよ!! 』という気持ちだけでした。

記者‐2歳女王になったメジロドーベルですが、その後、チューリップ賞3着、桜花賞2着と敗れてしまいます

吉田‐「チューリップ賞は道中で口を割るなど、変に掛かる仕草を見せてました。頭が上がると操作が効かなくなる馬なんでね…。桜花賞でもその不安はありましたけど、結果はキョウエイマーチの2着。次は何とか逆転したい!という気持ちが強かったです」

記者‐そして迎えたオークス

吉田‐「折り合い面を課題に、調教で工夫したりと、厩舎一丸になって挑みました。2着のナナヨーウイングとは2馬身1/2差ですが、着差以上に強い競馬でした。2400メートルに距離が延びるし、折り合い面には結構不安はありましたけど、よく克服してくれました」

記者‐最後の直線は長く感じましたか?

吉田‐「そんなに長いとは感じませんでした。直線を向いた時に、うまく前が開けば…と思っていたんですが、その通り前が開いて。そこで巧く馬群を割った時に『大丈夫だな』と」

記者‐そこが勝利を確信した瞬間ですか?

吉田‐「そうですね。確信とまではいかないですけど『大丈夫かな』という感じです」

記者‐そしてもう1頭、スマイルトゥモローで2002年のオークスを勝利されています

吉田‐「3歳の500万、黄梅賞出走の時にオーナー(飯田正剛氏)と先生(勢司和浩調教師)から電話があって『空いてるか?』と。たまたま空いていて騎乗することになりました。スマイルトゥモローは黄梅賞を勝った後、フラワーCに向かったんですけど、その時は自厩舎の馬がいて乗れませんでした。そのフラワーCは岡部(幸雄)さんが騎乗して勝ったんですけど、その岡部さんは桜花賞で1番人気になったシャイニンルビーというお手馬がいたので、桜花賞では、自分にまた騎乗が回ってきました」

記者‐桜花賞のレースはいかがでしたか?

吉田‐「この馬も掛かる馬だったので、折り合いに気をつけて乗りました。岡部さんが乗ったフラワーCの時も、途中から掛かってハナを奪う競馬に。でも最後は力でねじ伏せる強い内容でした。桜花賞の時は内枠と枠順は良かったんですが、スタートが遅く後方からの競馬になって、最後は伸びたけど届かず6着で…」

記者‐その悔しさをオークスで晴らすわけですね

吉田‐「掛かる馬で距離に不安はありました。でも黄梅賞みたいに、折り合えばいい脚を使う馬なんで、ね。そんなに抜けた馬もいなかったですし、チャンスはあると思って期待していました」

記者‐チャペルコンサートに1馬身1/2差をつけ完勝

吉田‐「そうですね。ホント、あの時はうまく折り合ってくれたな…と。その後のレースでは、すごく引っ掛かったりしていたんでね。なんで、あのオークスの時は折り合ってくれたんだろうか、と(笑)。3~4コーナーは後ろの方で我慢していたんですけど、前の馬が、みんな外へ行ったんで、内がポッカリと開いて。そこをうまく突いて、ロスのない競馬ができたのも大きかったですね」

記者‐同じオークス勝ちでも、進路取りなども違って、2通りの競馬ですね

吉田‐「2頭共通するのは、道中での折り合いが課題だったんですけど、ドーベルの時は、3コーナー辺りで前に包まれて出られない、というのが嫌だったので、外々を回ろうという考えでした。力はある馬だったので、不利だけは受けたくありませんでしたね。スマイルの場合は、大外を回すよりも、内がいいかな、と。その通り、内もうまく開きましたしね」

記者‐勝つ時は、全てうまくいく、と

吉田‐「そうですね。展開などすべてが、うまくいきますね」

記者‐そんなオークスを2勝されている吉田騎手ですが、競馬の世界に入るキッカケは?

吉田‐「茨城県出身なんですけど、実は美浦トレセンがこんなに近くにあることすら知りませんでした(笑)。普通に小学校、中学校と通っていました。その中学3年の受験シーズンになって、親からたまたま『騎手』という職業があるというのを教えてもらって。もともと体は小さかったですし、体動かすのも好きだったんで、ダメモトで受けてみようと。正直、受かるとは思っていませんでした」

記者‐体動かすのが好きだったんですね。ちなみに、何かスポーツをされていたんですか?

吉田‐「中学の時にずっと器械体操をやっていました」

記者‐ちなみにオリンピックでも、体操をご覧になられたり?

吉田‐「観ましたよ。アテネで、団体がメダルを獲った時は、ビックリしました」

記者‐少し話がそれてしましたが…。吉田騎手の中学3年の頃は、オグリブーム(芦毛の怪物と言われたオグリキャップ)でしたよね?

吉田‐「そうですね、オグリの引退レースとなった有馬記念でした。テレビでやっていたんで、オグリだとか武豊さんのことは知ってましたけど、美浦トレセンまでは…(笑)。競馬学校に入ることになってから、真剣に競馬を見るようになりました。ホント、それまでは競馬のことはあまり知らなかったですね」

記者‐そして競馬学校に入学。初めて美浦トレセンに足を運んだ時は、どんな感じでしたか?

吉田‐「2年生の夏に実習できたんですけど、ビックリしました。こんな施設が、実家からこんな近いところにあったんだ…って。馬はたくさんいるし、関係者しか入れない場所とか規制もされてるし、まるで別世界だと思いました」

記者‐そんな別世界に足を運んで大活躍ですね。その別世界で、最高峰と言われるのが日本ダービー。その時は周囲の雰囲気は普段と違いますか?

吉田‐「そうですね、ダービー週になるとやっぱ違いますね。普通の火曜、水曜と比べて取材陣が多いし、独特の雰囲気があります。GIはいっぱいありますけど、ダービーだけはホント全然違いますよ。たった18頭しか出れないし、騎乗できるだけで嬉しいですね」

記者‐初めてダービーに挑戦した時の事は覚えていますか?

吉田‐「覚えていますよ。自厩舎のトピカルコレクターで出たんです。ダートで2勝を挙げて、皐月賞を使った後にトライアルのプリンシパルSへ向かったんですけど、そこでダンスインザダークの2着に入って、ダービー出走権利を獲れまして。嬉しかったですよ。まあ、1頭強いダンスインザダークがいたことで、他の馬たちがそこを避けて、頭数も揃ってなかったのもありますけど…。でもうまく乗れたと思っています」

記者‐ダービーの騎乗は緊張しましたか?

吉田‐「いや、緊張はしませんでしたね。人気になるような馬だったら、また違ったかもしれないですけど(苦笑)。気楽な立場だったんで、純粋に『出れた』という嬉しさだけですね」

記者‐その他では、1997年のトキオエクセレント

吉田‐「青葉賞を勝ってのダービー参戦だったんで、色気は持っていましたよ。なんとかいい競馬をしたいな…と(結果は8着)」

記者‐そして1998年のメジロランバートでもダービー参戦

吉田‐「ランバートは青葉賞2着で権利獲っての出走でしたね。力が抜けた馬がいたんですけど、いい競馬はするかなと思っていました。でも、そのスペシャルウィークに直線でビュッと抜かれて…伸び脚が全然違っていましたね。(結果は6着)」

記者‐確かに、あのダービーのスペシャルウィークは走りが違っていましたね。その他、ダービーに限らず、一緒に走って「凄い相手だ」と思った馬はいますか?

吉田‐「そうですね~、エアグルーヴですかね。ドーベルでいずれ戦うことになるだろうとは思っていましたけど。対戦してみて、やっぱり強いな、と。グルーヴとはサイレントハンターでも、札幌記念で戦っているんですよ。その時も『やっぱり交わせないな』と感じました」

記者‐エアグルーヴは、牝馬で天皇賞・秋を優勝するような馬ですからね。さて、オークス、ダービーは共に東京・芝2400mの舞台で行われますが、そのコースに対して、意識するようなことはありますか?例えば、ダービーポジションだったりとか

吉田‐「う~ん、特にはないですね。オークスの場合は、女馬で2400メートルを使っているのがほぼいないですから。最初は桜花賞を目指す訳ですから1600か、それか経験あっても2000まで。一気に距離が伸びますからね、そういう意味で未知な部分はあります。いかにロスのない競馬ができるか、というのを牝馬の場合は心がけています」

記者‐全く違った条件で、桜花賞とオークスの両方で好結果を出したメジロドーベルって凄いんですね

吉田‐「そうですね、やっぱり、その世代で突き抜けたモノを持ってないと、桜花賞、オークスと結果は出せないですからね」

記者‐男馬のダービーの方はいかがですか?

吉田‐「まあ、男馬の場合は、ダービー前に長い距離のレースもあるし、そこまで意識はしません。広いコースですし、直線も長いし、折り合いに徹して乗る。馬のことだけを考えて乗ればいい、という感じです」

記者‐分かりました。さて、まだまだお聞きしたいことはあるのですが、お時間となってしまいました。最後にひとつお聞きしたいんですけど、吉田豊騎手が今欲しいものは何ですか?

吉田‐「えぇ~、連休?!ですかね。この仕事をしていると月曜しか休めないんで。一日しかないと、何にもしないで、ダラッと過ごすことが多いです。たまにゴルフ行ったりとかはしますけど…。何が欲しいと言われると、やっぱり『休み』ってなりますね」

記者‐「休み」を静養に充て、リフレッシュした吉田騎手の好騎乗を期待しています。本日は、お忙しい中、本当にありがとうございました



★取材日=08/04/16
★取材場所=美浦・南スタンド