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角田晃一騎手



プロフィール
【角田晃一】
1970年鳥取県生まれ。
1989年に栗東・渡辺栄厩舎からデビュー。
JRA通算成績は670勝(08/04/09現在)
初騎乗:1989年3月 4日 1回阪神 3日 1R ミツワシンゲキ(3着/9頭)
初勝利:1989年3月18日 1回 阪神7日 8R ヤマニントリガー
■主な重賞勝利
・01年日本ダービー(ジャングルポケット号)
・91年桜花賞(シスタートウショウ号)
・03年天皇賞・春(ヒシミラクル号)

GI・10勝と大舞台で結果を残しており、勝負度胸のある騎乗に定評がある。07年にはサマージョッキーズシリーズの初代チャンピオンとなり、ワールドスーパージョッキーズシリーズへの出場を果たした。




記者‐本日はよろしくお願いします。早速ですが、角田さんの思い出のオークスをお聞かせいただけますか?

角田‐「ハナ差で負けましたけど、91年のシスタートウショウのレースですね」

記者‐ゴールした瞬間、勝ち負けは分かりましたか?

角田‐「ええ、負けたと思いました」

記者‐内と外、離れていましたよね?

角田‐「あのくらいなら結構、分かるものなんですよ。ムチャクチャ離れていたら分からないんでしょうけどね。ゴールした後は、やっぱり、ガッカリしましたね(苦笑)。負けない自信があったんで。まあ、僕も20歳で若かったですからね。あと、もともと、桜花賞よりオークス向きと言われていた馬だったんで…」

記者‐それは、角田さんも乗っていて感じていたんですか?

角田‐「そうですね、だんだんとちょっと、折り合い面とかも掛かるようになってきたんで」



記者‐いつ頃から?

角田‐「桜花賞前の、チューリップ賞でもちょっと掛かるような感じがあって。桜花賞は勝ちましたけど、外枠引いたり、京都開催だったりと、色々いいことが重なりあったんで」

記者‐いろいろ良い風がシスタートウショウにとって吹いた、と。

角田‐「ええ、桜花賞の時は、ゲートも一番速かったんで。それと相反して、オークスはゲートでも立ち遅れてしまって。仕掛けて行ったら、また掛かるっていうイメージがあったんで、三角までは折り合いに専念して、三角からジワッと行ってね。やっぱりチューリップ賞で掛かってしまったんで、オークスは2400mだから、それだけは避けようかな、と思って。でも、結局はペースも合わなくて良い条件ではなかったんですけどね。まあ、シスタートウショウには良い思いもさせてもらったし、苦い思いもさせてもらいました」

記者‐20歳ちょうどのジョッキーが、あんなビッグレースでしかも人気馬に騎乗されて。若い頃からそういった経験ができたっていうのは…

角田‐「苦い経験がなくて、いい経験ばかりだったらいいんですけどね(笑)。でも、それじゃなかなか成長しないだろうから…。G1で1番人気っていうのも初めてだったし、その意味でいい勉強をさせてもらえたと思います」

記者‐シスタートウショウから学ぶところは非常に大きかった、と。続いてダービーについてお聞きしたいんですけど、これもまた角田さんの思い出のダービーというと、ある一つのレースが思い浮かびます。ジャングルポケットで勝ったレースですね。

角田‐「もう、このダービーに向けて調教して、厩舎と一丸となってレースに挑んだんで。だから勝てた時は本当に嬉しかったですね。うん、ホッとしたというか…やっぱり『嬉しい』のひと言ですね。皐月賞を勝ったアグネスタキオンが引退した事もあって、もうだいぶ前から『1番人気になるだろうな』っていうのは分かっていたことなので、レースの1ヶ月前くらいからダービーのことで頭が一杯でした。他の馬の動向も気になるし、自分もケガをしないように、騎乗停止にならないようにしよう、とか。ダービーに意識を集中していましたね」

記者‐角田騎手は暮れのラジオたんぱ杯から、ジャングルポケットの手綱を取られていますね。どのような点に気をつけて騎乗されていましたか?

角田‐「まだ馬も若かったんで、折り合いには気を付けていましたね。先生から『勝ちに行くレースというよりも、中団くらいで馬を我慢させるようなレースをしなさい』という言葉もありましたし」

記者‐大きなタイトルという目標を視野に入れて、我慢を覚えこませよう、と。

角田‐「そうですね。あまりせかして行ったら、そのレースは勝てるかもしれないですけど、ダービーみたいに長い距離になった時、折り合いを欠いたりすることもあるので。そういうヤンチャなところもあったんで」

記者‐なるほど。ジャングルポケットは左回りが得意と言われていましたが

角田‐「3歳時は3戦3勝ですからね。共同通信杯、ダービー、ジャパンカップと」

記者‐右回りよりも左回りが良いという事を、角田騎手も感じていたんですか?

角田‐「正確に言うと、右回りがダメということではなくて、左回りの方が合っていたということでしょうね。初めて共同通信杯に乗った時は、直線真っすぐに走ったので『うわっ』と思いましたね、変に掛かることもなく、次元の違う伸びでしたね。反応が良すぎるくらいで、切れる感じでした。まあ、共同通信杯の次の皐月賞では躓いて出遅れてしまって…」

記者‐スタートでちょっと後手を…

角田‐「そうですね。ゲートに先に入れられて、スタンド前で歓声も凄くて。それで待たされてるうちに、馬が硬くなってしまったんです。皐月賞もG1ですから、馬を仕上げていってるんで、精神的にも昂ぶっているんですよね。競馬だからしょうがないんですけど、本当は早く出して欲しかったです」

記者‐皐月賞は、追い上げて3着という結果で。その約1ヶ月半後にダービーがやって来るわけですが、レースに向けての懸念材料はありましたか?

角田‐「いや、特に無かったです、枠も大外枠に入りましたし。皐月賞の時には1番枠で先にゲートに入れられて、待たされているうちに出遅れてしまいましたけど、ダービーの時は18番枠でしたから。『皐月賞が1枠1番だったから、ダービーは18頭だての1番外でもいいや』って思っていたら、本当に引いてしまって」

記者‐いよいよダービーの当日を迎えて、パドックを周っているときの心境というのはどうでしたか?

角田‐「ゲートを出てミスだけはしないように、折り合いをつけながらレースをしよう、と考えていましたね。不利を受けてもダメだと思っていたんで、勝つためにはどう乗れば良いかっていう事に集中していました」

記者‐緊張で体が縮こまるっていう事はなかったですか?

角田‐「そういうのは無かったですけど、ダービーの1番人気に乗れるなんて、一生に一度あるかどうかですからね。それまでに何度かダービーに乗せてもらっていたんですが、ジャンポケの時は今までとはプレッシャーの感じ方が全然違いました。『レースに勝つ、勝ちたい』という気持ちは、どのダービーでも一緒なんですけど、ジャンポケは今までのなかで一番期待度というか、勝つチャンスも高かったと思うんで、良い緊張感を持って乗ってました。人気がなかったらまた違った感じでしょうけど」

記者‐先生から何か乗り方に関して指示はありましたか?

角田‐「いえ、指示という感じではなく『自分の馬が一番強いと思って乗って来い』と言われました。まあ、レースのあと『ダービーの1番人気で、乗り方を考えていないジョッキーがどこにいるんだ』って言われましたから(笑)、『細かい事をいちいち言わなくても、ちゃんと考えているだろう』と思ってくれていたのかもしれませんね」

記者‐では、特に具体的に「どの辺りからレースを進めなさい」というお話は無かったんですね

角田‐「はい。だからゲートやスタートに気をつけよう、と。馬込みとかは平気だったし、後ろから抜かれる事はない、と思ってましたから『2400mあるんだから、1頭ずつ負かせばいいや』って。それで、折り合いに気をつけて乗っていたら、行くところ行くところ自然と道が開いていくんですよね。あの、モーゼの映画の『十戒』みたいに道がパーッと。馬場も悪くて、みんなは外を回ったりしてましたけど、道悪も大丈夫だったんで、別に外を回ることもなく、全頭を見ながら『この馬、ダメ、ダメ』って1頭ずつ消去しながら、楽に仕掛けて行けました。あとは、1頭で抜け出すと遊んだりヨレたりする子供っぽいところがあったので、上位に来そうな馬を探して『この馬が残るな』っていう強い馬の方にわざと寄せて行って『併せたら負けない』と」

記者‐2着に入ったダンツフレームが相手だ、と分かったのはどのくらいのところだったんですか?

角田‐「最後の直線ですね。人気していたクロフネも目の前にいたんですけど、ダンツの方が断然良く見えたんで」

記者‐ダンツを相手と見て、直線で並んで交わした後は、もう結構ゴールまで余裕があったように見えましたが

角田‐「こういう大きいレースだと、早くゴールにつきたいという気持ちが強くて、最後の1ハロンが凄く長く感じるんですよ」

記者‐そうなんですか

角田‐「見てる分にはそう思わないかもしれないけど、凄く長く感じましたよ。だって…ダービーですよ?僕もそれまでに他のG1もいろいろ取らしてもらったんですけど、やっぱりダービーは別格ですよ」

記者‐なるほど。長かったゴールが来て、1着でゴールした瞬間というのは、周りの風景はどういうふうに見えるものなのですか?

角田‐「音がボーっと聞こえるだけでしたかね。他のG1の時は感じた事が無かったんですけど、頭が真っ白になった、というか…。ゴール後は本当に安堵感がこみ上げてきました。今までこのためだけにやってきましたからね」

記者‐しかも1番人気の馬で勝てました、と。こういう大レースで1番人気になった時、理想の競馬ができる事が重要である、という話を聞いた事があります

角田‐「そうですね。1番人気で勝つ事も、人気薄で勝つ事もどちらも大事ですけど、人気を背負うということはそれだけみんなから期待されているわけですから。それで責任を果たすのが本当のジョッキーだと思うんで。2着の馬は忘れられていくし、やっぱり2着じゃダメですね」

記者‐勝って結果を出していかないといけないんですね。話は戻りますが、ダービーのウイニングランの時、ジャングルポケットが暴れていた印象があるんですけど

角田‐「芝のコースから帰るのはジャングル1頭だったんですけど、みんながダートコースから帰るから、それについて行こうとして、ラチがあるのにそのまま行こうとして(笑)。今度はそのまま動かなくなって。多分、帰り道が分からなくなっちゃったと思うんですけど、結局、係りの人に引っ張ってもらって」

記者‐面白いキャラクターですね。そういえば、ダービーを勝って帰ってきて、先生とどんなお話をされました?

角田‐「『良かったな』と。僕も『ありがとうございました』とお礼を言って。もう…他の言葉はいらないと思いますよ。騎手デビューの前、競馬学校の時からお世話になっている先生ですから。良い先生に巡りあえたな、と」



記者‐渡辺先生が定年引退されるまで所属されていたんですね。

角田‐「そうですね、恵まれた環境だったと思います」

記者‐自分で所属厩舎を選べたんですか?

角田‐「選べないです。縁故の問題とか色々あったら別ですけど」

記者‐角田さんは何の血縁関係もなかったんですか?

角田‐「ええ、何もなかったんですよ」

記者‐鳥取県のご出身ということですが、ジョッキーになられたキッカケというのは?

角田‐「中学3年のあるときに、親父の友達がJRAの願書を取ってきてくれたんですよ。多分、親父とその友達で何か話し合ったんだと思いますけど。僕は中央と地方があるのも知りませんでしたから、その友達が地方の願書を持ってきていたら地方の試験を受けていたかもしれません」

記者‐小さい頃から騎手という職業を意識されていたわけでは?

角田‐「まあ、小さい頃からこういう体を動かす仕事をやりたいと漠然とは思っていましたけど、最初から『ジョッキーになろう』と思っていたわけではなかったんです。小学校3年くらいの頃、親父に『どんな職業に就きたいんだ?』って聞かれて、その時『騎手という仕事もあるぞ』と言われたんですけど、その時も『へーっ』て感じで、別に取り立てて興味を持ったわけでもなかったんです。子供の時は競馬なんてテレビで見るものじゃないし、回りに競馬をやってる人もいませんでしたからね」

記者‐鳥取ってJRAの施設はありましたっけ?

角田‐「全く無かったです。ウインズがこないだ出来たばっかり(笑)。テレビで放送されるのも、NHKだけだから、NHK杯とかダービーとか天皇賞とか、ごく限られたレースだけで」

記者‐そんな競馬に関する知識が無い状態だったけど、受けてみたら受かりました、と

角田‐「ええ、そこで関東と関西に分かれるんですけど、ただ単に自分は鳥取出身なので『じゃ、こっち』って感じで関西を選んだんですよ。栗東・美浦も全然知らない状態でしたからね(笑)」

記者‐中央と地方があるのを知らないのに、美浦・栗東が分かるわけないですよね(笑)。ジョッキーになると決めた後は、レースを観るようになりましたか?

角田‐「願書出しても、テレビで競馬放送がやってなかったですからね。グリーンチャンネルも、もちろん無いし(笑)。当時は競馬のゲームとかも無いんですよね。僕、ファミコン世代なもんで(笑)」

記者‐私も同じですよ(笑)。ゲームウォッチもやっていました。なんか話を聞いていると、本当に普通の小中学生時代を送られた感じですね。何かスポーツはされていましたか?

角田‐「野球は興味なかったんであまりやらなかったんですけど、スポーツはいろいろやっていましたね。『キャプテン翼』に影響されて、サッカーやったりして(笑)」

記者‐これまた私も同じです(笑)。でも「スポーツを職業に」という考えはなかったんですね

角田‐「そうですね。『サラリーマンにはなりたくない』っていう程度で。自分はじっとしていることが出来ないと思ったんで。まあ、親父の姿見ていたら、僕には出来ないなと思いました」

記者‐今は「騎手になって良かったな」と?

角田‐「はい、良かったと思っていますよ。そのキッカケを作ってくれた親父には感謝しています」

記者‐その、ジョッキーの仕事をしているうえで、角田さんがこれだけは気をつけている、という事があったら教えていただけますか?

角田‐「当たり前のことなんですけど、まずケガをしないことですね。ケガで乗れないっていうのは悔しいですから。人も馬もケガしたら何にもならないですよ。だからレースでも調教でも、落ちないことも大事ですね。仮に僕の体が大丈夫だったとしても、放馬したために馬がケガしたりする可能性もありますからね。馬がケガで出走できなかったら、その後の運命も変わるかもしれませんし。馬で稼がせてもらって生活しているわけですから、馬は大事にしたいと思っています」

記者‐もし、ジャングルポケットがダービー前に骨折していたら、全然違う人生になっていたでしょうしね

角田‐「幻のダービー馬って呼ばれたとしても、結局『勝ってないし、出てないじゃない』で話が終わっちゃいますからね。やっぱり、レースに出て勝たないと」

記者‐落馬をしないように、安全に乗って

角田‐「うーん、ただ『安全に』っていうだけじゃ勝てませんからね。やっぱりレースでは攻めて行かないと、馬券を買ってくれているファンにも、仕上げてくれた関係者の方々にも失礼なんで。勝ちに行くレースをするうえで、落ちないことが大事ですね」

記者‐なるほど。それでは最後の質問です。今、角田騎手が欲しいものって何かありますか?

角田‐「そうですね、…丈夫な体、ですかね。単純に言えば、強くて若い体です。今年38歳ですから、結構ガタが来ているんで(笑)。落馬もあったりするんで、メンテナンスしながら乗っているんですけど、そんなことが不要なくらい、強くて若い健康体が欲しいんです。もう、骨なんかチタンとかで出来ていたらいいですね(笑)」

記者‐最強ですね(笑)

角田‐「ロボコップみたいに(笑)。『チタンなら重さも軽いし、競馬で有利やな』、って、こんな事を考えてます(笑)。重さが軽ければそれだけ人馬一体に近づきやすいですからね。まあ、いろいろありますけど、やっぱり、馬と人間がケガしないことが一番大事ですよね。馬がケガなく引退して、子孫を残してくれれば」

記者‐二世と言えば、ジャングルポケットもそうですけど、角田さんが乗られていたフジキセキも…

角田‐「ねえ。フジキセキも頑張ってますからね」

記者‐またここ最近、産駒の活躍が特に目立ちますね

角田‐「ドバイでサンクラシークがドバイシーマクラシックを勝って、高松宮もファイングレインが勝って」

記者‐フジキセキの子供が高松宮記念を勝つと思われました?

角田‐「もともとマイルでも勝ってるんで、不思議は無かったですね。ドバイシーマは2400mですけど、まあ、絶対的な能力があってオールラウンダーで、凄くパワフルな馬でしたからね」

記者‐現役当時、弥生賞でも結構折り合いを欠きながらグイグイ行っていましたね

角田‐「折り合い欠きながらでも、何しても勝つんですよ(笑)。だから凄い馬なんですよ。格が違いました。普通、あれだけ掛かったら負けるんですけどね。朝日杯の時も、掛かって掛かって、ラチにぶつかりながら行くし、口の中はもう血だらけでしたよ」

記者‐朝日杯では、スキーキャプテンに僅差で勝ったんですよね

角田‐「着差以上に強かったと思います。フジキセキは頭が良くて、出入り口のことまでちゃんと覚えている馬だったんですよ。入場してきたところにそのまま帰って行こうとするんで、もう、危なくて危なくて(笑)。…あの馬は僕が乗った馬の中ではナンバーワンでしたね」

記者‐今現在も角田騎手にとって、フジキセキがナンバーワンなんですね。

角田‐「無事に行けば、その後どうなったんでしょうね。だから、皐月賞前に『引退』って聞かされた時は、本当に凄いショックでしたよ。弥生賞のあとも普通に来ていて、何とも無かったんですけど、急にダメになったんでビックリして。競馬を使ってすぐ、とかだったらまだ分かるんですけど…。ホント『皐月賞だけでも出してくれ』って思ったんですけどね…」

記者‐4戦4勝でそのまま引退、という事になってしまって。

角田‐「凄い馬だったんですけどね…」

記者‐フジキセキ産駒に乗ってみて『フジキセキに似ているな』って感じた馬はいますか?

角田‐「そんなに『ソックリだな』っていうのはいなかったですかね。フジキセキ産駒は硬い馬は出なくて、柔らかい馬が多いなっていう印象です。ジャンポケ産駒は硬い馬が結構いるんですよ。ジャンポケはちょっと『背ったれ』っていって、腰とか痛めやすい体型だったんで、気を付けて乗っていましたけどね。頭を上げすぎるとトモを痛めたり、背中に負担がかかってしまうので、頭を上げないようにして。ジャンポケ産駒はジャンポケと似ているからすぐ分かりますよ(笑)。ジャングルテクノなんてソックリでしたね。トールポピーも桜花賞の時に見てたら、ジャンポケとやる事が同じなんですよ。頭をガーッて上げていたんで『ああ、似てるなー。でも…入れ込んでんねやろなー』って(笑)。暴れている時のジャンポケと同じ動きだったんで。元々気の悪いところがありましたからね。牝馬がいたら大人しくなるんですけどね」

記者‐そうなんですか。

角田‐「で、その牝馬の隣に男馬が来ると、牝馬を飛び越えて襲い掛かるっていうくらい、我が強かったんですよ。『俺の女にナニすんねん!』って感じで(笑)。別にその牝馬と付き合ってるわけでも無いのに。男馬もただ通りかかっただけでそんな目に遭うんですから、とんだトバッチリですよ(笑)。やっぱりG1勝つような馬だから、自分が大将だと思っていますからね」

記者‐ジャングルポケットの世代はアグネスタキオンやダンツフレーム、クロフネなど強い馬が揃っていましたからね。その世代のダービー馬ですから我が強くて当然かもしれませんね(笑)

角田‐「そういうのも良い思い出ですよ(笑)」

記者‐ではそろそろお時間になりますので。本日はお忙しいなか有難うございました。

角田‐「いえ、また来てください」



★取材日=08/04/16
★取材場所=栗東・スタンド