第2章:メンタル一つで結果が変わるプロ野球
2016/2/7(日)
松田宣浩×戸崎圭太「日本一の熱き男たち」(第1章)はコチラ⇒
-:次にお互いのご職業について語っていただきたいと思います。決してお二人共お互いの世界について詳しいわけではないと伺っておりますので、改めてご自身のお仕事ぶりを紹介いただけますか?
圭太:僕は小学校、中学校と野球をやっていて、体が小さかったので、あまり試合に出ることもなく終わったのですが、必然的にプロ野球選手には憧れました。プロ野球は小学校、中学校と比べると全然違うものなのですか。それでも、野球は野球で一緒という感覚でしたか?
松田:野球は野球で一緒ですね。ただ僕は、小学校、中学校、高校、大学を経て、プロに入っていったのですが、1つずつレベルが違いますね。正直、中学校くらいまでは相当楽しかったんですよ。高校に行くと甲子園、大学に行くと日本一など、ノルマも課せられますし、レベルが上がってきて、楽しさだけよりもキツいと思うようになってきて。今は、プロ野球という一番上のレベルの中でやっているので、正直楽しいよりも厳しい方が……。テレビ中継があったり、華やかに思われたりもするのですが、実際にやっている本人は毎日必死です。
圭太:それはやっぱり体がキツかったりするのですか?
松田:そうですね。チームが勝っても……ね。もちろんチームが勝つのが一番良いのですが、その中で個人が打てなかったりすることもありますから。成績の数字は如実に動くものなので、それが新聞に出たりするとけっこう落ち込んだり、打ったら(気分が)上がったり、他の選手もそうですが、その浮き沈みが激しいんですよね。
圭太:プレッシャーもありますか?
松田:皆、ありますね。ただ、僕はあまり感じない方です。若い選手なんかがエラーをしたら、次の日まで寝られなかったり、それくらいプレッシャーを感じたりしますね。振り返ると、確かに僕も若い頃はそんな感じで、打てなかった日に遠征先で寝たら寝汗が酷かったこともありました。一方で打った日は寝汗をかかずに、普通に寝られたり、そういう経験はありますね。
圭太:レベルが違うのでしょうが、プロ野球選手は僕らの憧れでしたからね。僕なんかが野球をやっていて、守備で守っていたりしても、「ボールが飛んでくるな!」と思ったりとか、打席に立ってもヘタクソで絶対に打てないんですよね。でも、チームとしてもレベルの高いところだったので、けっこう練習は厳しかったんですよ。
-:戸崎騎手は憧れの選手像などはありましたか?
圭太:僕の時は、ジャイアンツの試合をテレビでやっていたので、体も小さかったせいか自然と緒方選手や川相選手とか、ああいう渋い選手が好きでしたね。
松田:僕も子供の頃はテレビ中継で巨人戦ばかりやっていましたね。プロに入ってジャイアンツと試合をする時は、川相さんはコーチとしてベンチにおられましたし、昨シーズンで辞められた原監督もテレビで観ていた存在なので、最初は「お~、原監督だ!」なんて思いました。巨人の選手は誰もが知っていますね。
圭太:そうですよね。そういうテレビの世界だった方々が一緒にやられているわけですもんね。
-:松田選手は「プレッシャーは感じない」とおっしゃられていましたが、それは意外なことだと思います。克服できる要因を教えていただけますか?
松田:(プレッシャーを)感じちゃったら、その時点で体が動かないんですよね。野球はやっぱり“生き物のスポーツ”です。例えばど真ん中の球が来た時に、気持ち一つでスイングがズレたりしちゃうんです。だから、「打てない、今日はダメだ」なんて意識を僕は消していますね。「絶対に打てる!」という思いじゃないと。本当に(バットの)出し方一つでホームランが凡打に変わってくるスポーツ、その積み重ねが野球なので。小学校の時なんかは、好き勝手にボールを打ったら飛んでいたという感じでしたが、今はそれじゃ通用しなくて難しいですね。
圭太:やっぱり上に行けば行くほど、そういう細かさ、繊細さも出てきますよね。
松田:今はプロ生活10年を過ぎましたが、そう思えるようになったのは、5年目くらいからですかね。試合に出続け始めた頃からです。それまでは漠然としていたから、やっぱり結果を見ると至って普通でしたし、そういうことが分かってきだしてから、ソコソコの結果も出し始めたのかなと思います。
-:メンタルの切り替えとはどんなジャンルでも参考になるお話ですね。松田選手から見て、競馬界、ジョッキーにどういう印象をお持ちでしょうか?
松田:まず、こうやって騎手の方とお会いする機会はなかなかなかったので、僕からしてもテレビの世界といいますか、いつも日曜日の3時から(テレビが)やっているイメージしかなかったです(笑)。あと、僕の出身が滋賀県の草津という所で、隣が栗東だったんです。中学校の時は栗東の硬式クラブチームに所属していたので、僕らの同級生のお父さんもトレセンで働いている人もいました。グラウンドも本当にトレセンのちょっと下くらいにあるのですよ。なので、多少は競馬界のことはかじっていたのかなと。ただ、騎手になろうとは思いませんでしたね(笑)。
そこで聞いてみたかったのですが、野球選手と言ったら、小さい頃に野球を始めたら、段階を踏んで野球選手になるじゃないですか。騎手というのは、どう段階を踏んだら騎手になるのですか?
圭太:僕自身は競馬も騎手も知らなくて、中学3年生の時にそういう職業があるということを知りました。中学校を卒業してからそういう学校があるので、そこに2年間通ってデビューという感じでしたね。
松田:始めるのは、みんな中学校の終わりくらいですか?
圭太:そうですね。日本は大体、中学校を卒業してから行く人と高校を出てから行く人がいて。だから、競馬学校でみんな歳が違ったりするんですよ。
-:ちなみに、松田選手自身も、子供の頃からプロを意識出来るような力量だったのですか?
松田:ハイ(ニヤリ)。まあ、その辺では頑張ったつもりです。
圭太:おぉ~カッコ良いですね。
松田:小学校2年生から始めて、本当にプロ野球選手を目指して、今そうなれているということは嬉しく思います。
圭太:プロ野球選手になった人は、本当に小さい時からやっているんですかね?
松田:大体、僕らの周りも小学2年生が多いですよ。しかし、中学生の頃からやり始めた人も多くて、一部では「遅くに始めた方が良い」と言う人もいます。ピッチャーなんかは「小学生からじゃなくて中学生から本格的に始めた」なんて人も多いですね。
圭太:僕も続けていたらプロ野球だったかな、ハハハ。
松田宣浩×戸崎圭太「日本一」の熱き男たち(第3章)
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プロフィール
【戸崎 圭太】Keita Tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。
'99年に大井競馬の香取和孝厩舎所属としてデビュー。初騎乗初勝利を飾るなど、若手時代から存在感を放っていたが、'08年に306勝を上げて初めて地方全国リーディング獲得し、一気にブレイク。その後は地方競馬No.1ジョッキーとして君臨。また、徐々に中央競馬でのスポット参戦も増えいった。
'11年には地方競馬在籍の身ながらも、安田記念を制して初の中央G1勝ち。その名を全国に知らしめると、同年に中央移籍の意向を表明し、JRA騎手試験を受験。自身3度目となる受験で晴れて合格し、'13年3月から中央入りを果たした。
移籍初年度も年間113勝をマークすると、移籍2年目は146勝をマークしリーディングを獲得。3年目のシーズンとなった今年も130勝をマークして2年連続のリーディングジョッキーとなった。
【松田 宣浩】Nobuhiro Matsuda
1983年5月17日生まれ、滋賀県出身。
亜細亜大学から'05年のドラフトにて希望入団枠制度により選択され、福岡ソフトバンクホークスに入団。ルーキーイヤーの'06年にいきなり開幕一軍入りを果たすと、チーム12年ぶりに新人野手として開幕戦にスタメンで出場した。'08年からは三塁手としてレギュラーに定着したが、翌年以降はシーズン中のケガに苦しむ事も多くあった。'12年には侍ジャパンこと、野球の日本代表にも選出される。'14年にはホークスの選手会長に就任、その年の日本シリーズではチームを日本一に導く適時打を放つ活躍を見せた。'15年はNPB史上3人目となるシーズン3本のサヨナラ本塁打を打つなど勝負強さを発揮。チームの日本一連覇に貢献する大活躍を見せた。
昨年の成績は打率.287、本塁打35本、打点94。本塁打は1位に2本差と迫るパ・リーグ2位の成績であった。