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中舘英二騎手



プロフィール
【中舘英二】
1965年東京都生まれ。
1984年に美浦・加藤修甫厩舎からデビュー。
JRA通算成績は1343勝(10/18現在)
初騎乗:1984年3月 4日 2回 中山4日 8R レイズタガ(9着/16頭)
初勝利:1984年5月 6日 2回 東京6日 7R トドロキキング
■主な重賞勝利
・07年スプリンターズS(アストンマーチャン号)
・94年エリザベス女王杯(ヒシアマゾン号)
・93年阪神3歳牝馬S(ヒシアマゾン号)

今年9月アストンマーチャンでスプリンターズSを制し、13年ぶりにG1タイトルを手に入れた。ローカル開催での実績は群を抜いており、円熟の手綱捌きは必見。




記者‐中舘騎手が「騎手になろう」と思ったキッカケを教えてください

中館-「母が中山競馬場の馬券売り場でアルバイトしていたので、騎手という仕事がある事を知って。小柄だったので『騎手に向いている』と周りの人に言われて、そうかな、と。でも僕は荒川区の出身なんで馬も身近にいませんでしたし、父親も全然競馬をやらなかったんで、特に小さいときから競馬好きというわけではなかったんですけど。そして馬事公苑の長期騎手過程っていうのに入って。翌年から競馬学校が出来たから、僕らが最後の馬事公苑の卒業生です」

記者‐子どもの頃、運動神経は良かったのですか?

中館-「下町で遊びながら走り回ったり側転をしたり体を動かしていたんで、基礎体力はあったと思いますが、特に運動神経が良かった、という訳ではないですね。今でもゴルフなんかをやっても全然ダメですし(笑)」

記者‐美浦の加藤修甫厩舎に所属されて、騎手デビュー

中館-「近所の人が紹介してくれた馬主さんを通じて、先生を紹介していただきました。僕は本当に周りの人に恵まれているんですよ。周囲の人に支えてもらって、よい馬主さん、素晴らしい先生に会うことができました。これはすごく感謝しています、良い人たちに恵まれているってことは」

記者‐騎手生活のスタートは順調でしたか?

中館-「いや、デビューした年に2度騎乗停止になりました。一度目はシンボリルドルフが勝ったダービーの前のレースで。もう一つは函館で人を落馬させてしまって・・・。周りの先輩からすごく怒られましたね。もう怒られている内容を覚えていないくらいショックで・・・。何が何だかわかりませんでした。それからしばらくはレースが終わるたびにいろいろ注意をされましたよ。特にミス無く乗っても、ですね」

記者‐2年目は勝ち星が39勝に伸びました

中館-「夏の函館で数多く乗せてもらったからでしょう。特に関西馬を多く頼まれました。関西は減量騎手をたくさん乗せる風土なので。勝てそうな馬に良いタイミングで乗せてもらってキッチリ勝つ、勝つからまた依頼が増える、という好循環の波に乗れて。たしかその年の函館リーディングだったと思います」



記者‐その後も順調に勝ち星を伸ばして、2001年からは年間100勝超えを3回達成されています

中館-「厩舎に所属している関係上、自厩舎を優先しなければいけなかったり、他に乗りたい馬がいても断念せざるをえないこともあって、思うように勝ち星が伸びない時期もあったんですけど・・・。厩舎を離れてフリーになってから、数もそうですけど、上のクラスの条件もたくさん勝てるようになりました。やっぱりしがらみがなくなって、積極的にローカルにも参戦できるようになって、好きな馬に乗れるようになったことが大きいかもしれません」

記者‐周りの方の手助けもあって

中館-「もちろんです。いろんな方にアドバイスももらいましたし。若い頃、高橋英夫先生に『お前は勝ちたいと思う気持ちをなくせば、もっと勝てるようになる』と言われたことがあって、はじめは全然わからなかったですが、最近になってそれがようやく理解できるようになってきました。いい意味で開き直れた感じですね。この感覚を掴んだのは本当にごく最近ですよ」

記者‐その結果、暮れのワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)にも出場を果たしました。このイベントには参加したいと思っていましたか?

中館-「これはもうすごい目標でしたよ!一生のうちに一度は出場してみたいと思っていました。やっぱりこのシリーズに出場するっていうのは騎手としてはステイタスですから。世界レベルの騎手と一緒に乗ってみたかったし、レースの最中以外でも一流の騎手はどういう準備をしているのか、とか見てみたかったですね。僕が出たときに印象に残ったのはベラハーノ騎手。普段は穏やかなのに、馬に乗るとアグレッシブで、道中の位置取りだとか追い出しも上手く、さすがでした。参考になるところが多かったです」

記者‐すごく充実しているんですね

中館-「はい。WSJSは、リーディングのベストテンにいる騎手なら恐らく誰もが目指していると思いますよ。出場資格が決定する開催の間際になると、瀬戸際にいる人間は意識してますから」

記者‐騎手同士の腕の磨き合いが行われるなか、近年では地方の有力騎手が続々と中央に移籍することも増えていますが

中館-「大きい舞台で自分の腕を試してみたい、という意気込みや賞金の事を考えると同じ騎手として理解できるところはあります。ただ、その騎手がいなくなってしまった地方の競馬場はどうなってしまうのか、という心配もありますよね。スター騎手がいなくなって活気がなくなってしまったり・・・。中央にしても生え抜きの騎手が育ちにくくなってしまう面があるかもしれないけど、でもレベルの高いレースが増えたりと、一概に良いとも悪いとも言えないですね」

記者‐今年アストンマーチャンでスプリンターズSを勝って、13年ぶりにGⅠを制覇しました

中館-「素直に嬉しかったですね。石坂先生からは『馬と喧嘩しないで欲しい。行く馬がいれば無理しなくていい』と言われてました。アストンマーチャンのスピードが速かったので結果的には行く形になりましたけどね」

記者‐外から見ていたアストンマーチャンのイメージと、実際に乗った印象は?

中館-「全然違いましたね!外から見ていたときはテンションが高くて掛かりそうなイメージがありました。でも実際はおとなしいんですよ。レースの一週間前の調教で、栗東へ乗りに行った時も坂路の入り口で止まっちゃうくらいで。おとなし過ぎて歩いて行かないんです。馬が興奮しても対処できるようにアブミを長くして乗ってましたが、その必要が無いくらいでした」

記者‐レース前はどうでしたか?

中館-「返し馬でガッと来るところはありましたが、ほとんど変わらず落ち着いていました。前にレースで乗ってたユタカ(武豊騎手)も『この馬、そういう時は走りますよ』と言っていたからね。まあ、そういう風に言われても実際にはそのとおりにならないことも多いんだけど(笑)。ホント、良く走ってくれました」

記者‐どの辺りで勝利を意識しましたか?

中館-「4コーナーを周ったあたりかな。これは行けるかも、と感覚的に思いました。勝てると思ってからは慌てましたね。余裕がなくてフォームもバラッバラッでしたから(笑)。直線を先頭で回るとゴールまでの直線が長く感じるんですけど、今回はGⅠだったから余計にそう感じました。あの直線を走っている時は何て言うのかな、スタンドの歓声がワーワー聞こえるんだけど、頭に入らないと言うか。音のない世界を進んでる感じですね」

記者‐そして長い直線を乗り越えて先頭でゴール

中館-「ゴール板を駆け抜けた瞬間、それまでと空気がガラッと変わるんですよね。・・・嬉しい、ホッとした、良かったとかいろんな感情が湧いてきて。20秒くらいその何とも言えない嬉しい感覚に浸ります。この感覚が味わいたくて騎手をやっている、と言ってもいいくらいですよ」

記者‐勝ったあとのレースをVTRでご覧になられたりする事も?

中館-「見ますよ。勝てなかったレースの分析をするために見る事もありますが、勝った時のイメージを大切にして次のレースに臨みたいので、勝ったレースを見る事の方が多いかもしれないですね」

記者‐アストンマーチャンも逃げ切りということもあり、中舘騎手といえば逃げ・先行、というイメージがファンの間でも浸透していると思うんですけど、それについてはどう思いますか?

中館-「追い込みでも勝ってるんだけどね(笑)。騎手としては、追い込み馬が上手くないというイメージを持たれるのはマイナスですね。追い込み馬で負ければ『やっぱり追い込みじゃダメなんだ』と思われたり。ミス無く乗ってもね。まあ、逃げ先行のイメージがあるからアストンマーチャンを頼まれたのかもしれないし、良し悪しなのかもしれないけど、マイナス面は大きいですよ。ちゃんと追い込みでもいけるのにそう思われないっていうのは」

記者‐仕事をする上でこれだけは気をつけている、という事があったら教えてください

中館-「時間を守ること。騎手として、というよりこれは人間として当然でしょ?時間を守れないようだと周りの人から信用されなくなりますよね。やっぱり信用が一番ですから」



記者‐最後に今後の抱負をお願いします

中館-「そうですね、年齢を考えると騎手としてキャリアの折り返し地点は過ぎていると思うので、これからも一鞍一鞍を大事にして乗って行きたいですね。あとは怪我のない様に気をつけたいです。騎手を終えたあとの人生の方が長いわけですから・・・。今のまま少しでも長く乗っていたいと思います」

★取材日=10/18
★取材場所=美浦トレセン・南馬場調教スタンド