関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

三村展久騎手

三村展久騎手

2013年3月をもって、福山競馬の廃止が決定された。昨年は荒尾、今年は福山と、年々、競馬界への逆風は吹き荒ぶ一方だが、その福山競馬において、若くしてリーディングを手にした三村展久騎手は、当事者として、その実情をどう実感しているのか?そして、三村騎手の来年度の動向は?オリジナルインタビュー初登場となる同騎手に余すことなく語っていただいた。

持ち味は福山で育んだ平常心

-:今年もスーパージョッキーズトライアルではあと一歩のところで総合優勝を逃しましたね。

三村展久騎手:去年はトップに2ポイント差、今年は1ポイント差でどちらも3位でしたから本当に悔しいです。4戦のうち、どこかでもうひとつ上の着順が取れたんじゃないかって、終わってからも引きずる結果でした。

-:総合優勝はなりませんでしたが、「技術では負けているとは思わない」と毎年おっしゃってますね。

三:はい。全国のリーディングジョッキーが集うわけですから、みんな上手いのは当然ですが、その中でレースをしても自分の技術が劣っているとは思いません。福山の馬で他の競馬場に遠征に行くのではいつも惨敗で終わりますが、こうして乗り馬がちゃんとした抽選で決められるレースであれば、いつも負ける気がしないですね。

-:具体的に何が他の騎手と違って自信につながっているのですか?

三:馬に動いてもらう感覚がわかります。馬から伝わってくるものがあって、それは前々から感じ取っていたのですが、追い出してからゴールまで、その伝わってくるものを受けられるようになりました。その感じというのが馬によって違うので、追う姿勢も馬によって変わるんです。これは意識してやっていることではなくて、ビデオで確認して気付きますね。騎乗姿勢を綺麗にすることもこだわってやっています。



-:なるほど。では、そういう技術はどうやって習得されたのですか?

三:成績の振るわない馬をいかに他の人より前に持ってくるかを考えて乗っていましたね。それで、最後にしっかりした脚を使ってもらえるようになりました。レースは位置取りよりも、その馬に合わせるようにしています。それから、福山のコースはかなり小回りですので、一瞬の判断ミスで取り戻せないくらい結果に響く競馬場です。日々そういうところで騎乗していて細かい技術も身についてきたと思います。

-:気持ちの面で他の人と違うところはありますか?

三:レース前に全く緊張しないですね。人気があろうがなかろうが、大レースだろうが、遠征だろうが、輪乗りになればいつも全く同じ気持ちでいられます。むしろ、人気とか大レースだということが全く気になりません。経験はありませんが、JRAのGIに騎乗する機会があっても、いつもと同じ気持ちで乗れると思います。

-:それでは、騎手になるきっかけから教えていただけますか?

三:実家が岡山で父親が福山競馬場に通っていたんです。その頃は競馬なんてただのギャンブルとしか思っていませんでしたから全く興味はありませんでした。中学2年の時に父親と一緒に休養馬牧場へ行ったとき、福山の東森調教師に声をかけられて、言われるがままに騎手の道に進みました。73期で競馬学校を卒業して、福山競馬場の東森厩舎所属で2001年にデビューしました。

-:なるほど。競馬学校に入る時から福山デビューは既定路線だったわけですね。では、デビュー当初はどうでしたか?

三:今年でデビューして12年になります。当時の福山はアラブ専門の競馬場でしたね。まだ賞金も高くて活気がありましたよ。仕事にはやりがいがあって、真剣に取り組んできました。24歳くらいからレースで結果がでるようになってリーディングの上位に来るようになりましたね。

-:昨年、初の福山リーディングに立ちましたね。

三:一昨年は南関東で短期騎乗していたため勝ち鞍は少ないですが、ずっと福山で乗っていればその年からリーディングだったと思います。これまで、福山のリーディングジョッキーは良くて100勝くらいで、たいてい年間90勝近辺で争っていたのですが、自分は昨年137勝、今年は168勝を挙げることができました。頑張ってやってきたのですが、お客さんには「一方的すぎてつまらない」って言われますね。



今後の動向は

-:それは理不尽ですね。一昨年の南関東での短期騎乗について詳しく教えて下さい。

三:一昨年の6月から船橋所属で騎乗しました。2ヶ月間で8勝でしたが、騎乗数自体が73戦でしたから、まずは乗ることが難しかったです。2ヶ月という期間だと、技術をアピールして馬を集めるには短すぎます。勝ててたけれど落としたレースもあったし、意外性のあるレースもしました。長期で乗れればもっと良い結果も出せると思います。

-:福山競馬場の廃止が決まりましたが、南関東への移籍ということもありそうですか?

三:まだ決まってはいませんが、どこかで騎手は続けます。今は福山の主催者が受け入れ先を探しているところで、その情報を待っているところです。南関東は短期で経験しているとおり移籍しても厳しい場所ですが、2ヶ月の騎乗経験があるのは大きいですね。兵庫は騎手のレベルが高くて個性派が揃っていますので、ここで結果を出すのも簡単ではないと思います。それから他場に移籍しても勝負服は今と一緒でいきます。アドマイヤさん(馬主の近藤利一氏)の勝負服が好きで今のデザインにしたのですが、地方競馬の服色に水色が無くて、呼称は『胴青、青のこぎり歯型、袖白青一本輪』なので、ぎざぎざの上と下は同じ色なんですよ。でも、水色も青と言い張って、このデザインにすることができました。

福山競馬の廃止に

-:それは面白いエピソードですね。福山競馬場の廃止についてはどんなお気持ちですか?

三:寂しいの一言に尽きます。故郷が無くなる気持ちです。自分は移籍できると思いますが、多くの騎手が廃業する見込みです。調教師は騎手よりも受け入れ先が少ない状況で、やはり廃業される方ばかりです。何十年と厩舎に住んで来た厩務員の方などは、職ばかりか住むところまで無くなってしまいます。みんな競馬一筋でやってきた人ばかりですので、新たな仕事に対する不安は本当に大きいです。競馬場がひとつ廃止になるだけで、競馬界全体の器がそれだけ縮小するわけで、影響は場内の関係者だけでは決してありません。多くの人に、もっと深刻に受け止めてもらいたいです。

-:なぜ福山競馬場は廃止に追い込まれたと思いますか?

三:南関東の人口規模と比較すると、福山の人口では土台が小さすぎると思います。それから昔の自分がそうであったように、福山競馬はギャンブルの面が強すぎて、若者はなかなか興味を示さないんです。若い世代に受け入れられる要素が無かったので、どんどん売上が下がって馬も減り、悪循環に陥りました。

-:三村騎手の福山での一番の思い出はなんですか?

三:やはりリーディングジョッキーになれたことです。それが目標でずっとやってきましたから。移籍先でも今までどおり一頭一頭大切に乗って、リーディングを目指してやっていきたいです。全国の競馬場で行けるところならどこでも行って騎乗したいです。もちろん、チャンスがあれば海外でも乗ってみたいと思っています。

-:最後にファンの方にメッセージをお願いします。

三:残念ながら、福山競馬は来年の3月一杯で廃止されることが決まりました。残された開催日も24日となりましたので、廃止前の福山競馬場にぜひお越し下さい。自分は廃止後も移籍して騎手を続けますので、引き続き応援していただけたらと思います。






【三村 展久】 Nobuhisa Mimura

1984年 岡山県出身。
地方初勝利
2001年4月29日 福山競馬2R ロイヤルオオシ
地方通算成績は756勝(12/12/27現在)

2001年に福山競馬・東森優厩舎からデビュー。昨年、141勝を挙げて、2位以下を大きく引き離して初の福山リーディングに輝くと、今年も169勝をマーク。自身の記録を伸ばして、2年連続リーディングに輝いた。 また、一昨年は南関東での期間限定騎乗、WSJSの地方代表枠予選であるSJTにも出場。その活躍の場を広げつつある。その一方で2013年3月をもって、所属していた福山競馬の廃止が決定。今後の動向が注目される。