中央勢を迎え撃つ東京ダービー馬ハッピースプリント
2014/7/2(水)
地方所属馬ながら全日本2歳優駿の実績を考えれば、当然ともいえるのかもしれないが、危なげないレースぶりで東京ダービーをV。見事、南関東クラシック2冠を制したハッピースプリントと吉原寛人騎手。 それでも、主戦からすれば、状態は6~7割ほどというのだから恐れ入る。昨年以来、相まみえる中央勢との一戦を控え、東京ダービーの勝負の分かれ目と、改めてパートナーの可能性について語ってもらった。
▲吉原騎手が読者からの質問に答えてくれました!
騎手人生で最も格別だった東京ダービー
-:ジャパンダートダービー出走を予定しているハッピースプリント(牡3、大井・森下厩舎)についてお伺いします。まずは見事、制された東京ダービーのレース前の心境から振り返って下さい。
吉原寛人騎手:夢にまでみた東京ダービーを1番人気で迎えました。断然の1番人気というのも初めてでしたし、今までのレースからしても、ミスさえなければ勝てるというところまできていたので、無事に終わってくれないかな、という気持ちが一番大きかったです。それに、東京ダービーを勝てばJDDに乗れる、というルール変更を主催者が先に発表してくれていたので、良いプレッシャーもありました。
-:そういう気持ちになったことは、今までもありましたか?
吉:これが他のレースだったら違った心境だったかもしれませんが、ここまでプレッシャーを感じたのは、乗り役人生で初めてでした。東京ダービーはプーラヴィーダ(12年)で挑んだ時もチャンスはあったのですが、馬の状態や力を把握してない中でのレースで、結果は2着でした。当時は半信半疑な面もあり、重圧や手応えを感じるほどではありませんでした。優勝馬が同じオーナー、厩舎のプレティオラスだったので、助けられた部分もありましたね。その時に森下先生に「絶対に吉原くんにダービーを獲らせるから」と約束してくれたこともあり、今回のダービーは思い入れが強くなりました。
-:伏線があってこその今回だったのですね。
吉:1回獲ってしまえば、今度は違うのかもしれませんが(笑)。
東京ダービー前の追い切りに騎乗する吉原騎手
-:ここ2戦と比べて、馬の状態に違いはありましたか?
吉:京浜盃の時は休み明けということもあって、馬の動きが本物ではないし、ピリっとはしていなかったです。それでも能力でカバーしてくれたレースだったと思います。羽田盃では1回叩いたことで、追い切りから動きが変わりました。猛時計を出してしまうほど、馬の調子の良さが出ていましたし、そこで一気にスイッチを入れてしまった僕の追い切りが悪かったのかな、と今になって反省しています。
本来、先生は緩やかにダービーへ向けて調子を上げて行きたかったんです。それが僕のせいで羽田盃前に調子を上げすぎてしまい、そこからのダービーだったので、体調の維持が大変だったと思いますし、先生も悩まされたことでしょう。
東京ダービー前は追い切りの相手も上手いこと動いてくれず、調教内容としては合格ですが、時計としては出ていなかったですね。羽田盃の疲れを取るのとともに、調子を緩やかに上げて行き、JDDでピークに持って行く、という形でダービーに挑むことになりました。それもあって、幾らか緩い感じではありましたが、その中でしっかり勝ち切るハッピーの能力の高さと、厩舎の仕上げは改めて凄いなと思いました。レース前は緊張していたのですが、馬に乗ったら安心できました。
思い描いていたレースプラン
-:外枠に決まった時はどう思いましたか?
吉:枠順だけは気にしていました。内枠に入ったら厄介なことになるなと思ったので、あの枠をもらった瞬間に、重いプレッシャーがだいぶ軽くなりました。たとえ大外であろうが、外の方が展開的な不利がないと思ったので、内枠は怖かったですね。普通の馬なら外枠でロスになると思いますが、テンも能力でカバーできるくらい脚を使ってくれますから。
-:外をとった時点で、ある程度、前で競馬をしようと決めていたのですか?
吉:しっかりとゲートだけ出して、という考えでした。
-:ゲートの出も考えていた通りでしたか?
吉:そうですね。奇数番号だったので、先入れならゲートの中で待たされるのもどうかなと思ったのですが、1頭除外になったことによってゲート順は偶数になったんですよ。そこもちょっとついていたな、とは思いました。ほとんど最後の方に入ることができましたからね。ゲート内であんまり待たされて、変な格好になって出遅れるのが怖かったです。僕の責任に一番なるところなので。
-:全てが理想の方に転がったのですね。
吉:上手く行く時はそういうものなのかなと。それも競馬だなと思いました。
-:道中で砂を被った時の心配はありますか?
吉:京浜盃の時に、砂を半分被っていたのですが、完全に嫌がるところもないですし、怯むところもありませんでした。それでも不安はあります。内枠で前に入られた時に上手く切り返せるかどうか。怯んでしまうと、とっさの脚が使えなくなってしまいますので、そこだけは心配です。中央馬が相手になると、その辺りがどうカバーできるか心配です。
-:レースでの乗った感触はどうでしたか。ペースが予想と違うという部分はありませんでしたか?
吉:理想通りに進んでくれました。3番手を取れた時点で、サーモピレーを見ながら進めて行けたので、あとはおかしなところで力まないよう、馬のリズムだけを考えて乗っていました。
そして、4コーナー付近でサーモピレーを一気に交わそうという時だけ、仕掛けました。あとは惰力でもこれについてくる脚は他にないな、と確信しました。いつものハッピーの脚を使っていましたからね。よっぽど弾けないと、この上がりではこられないですから。JDDを意識できる形で終わらせられました。
-:ゲートを出た瞬間に、これは勝ったな、と?
吉:勝ったまではいきませんが、この形で流れてくれないかなと。下手に遅くなったり、後ろがまくり合戦とかで来たら嫌だなと思っていたのですが、みんながハッピーを見て逆に動けないような感じだったので、終わってみれば危なげないレースだったなと。
-:今回はどのくらいの力を出したのですか?
吉:7割くらいじゃないですか。総合的なデキも6、7割だったと思います。
-:ゴールをしてから込み上げてくるものはありましたか?
吉:ウイニングランをして、ナイターの照明と、普段の2、3倍はいたお客さんからの沢山の拍手をもらった時には、騎手冥利に尽きるとはこのことかなと思いました。この半年間、ハッピーに懸ける思いが本当に強く、ダービーを獲ることが最大目標でしたので、本当に獲れてよかったです。安心したのと、嬉しさと、ファンの拍手で、嬉しさがこみあげました。
-:東京ダービーの表彰式でも感極まっていましたが、何があったのですか?
吉:色々な感情が混ざりに混ざって、あんなことになってしまいました。今まで、表彰式では泣いたことなかったですよ。ダービーという特別なレースということもあったと思います。
-:他地区の騎手が東京ダービーに乗りに来る、という強い反感もあったと思います。
吉:正直、そういうのもありましたし、だからこそ短期騎乗でも絶対にトップを獲って、文句を言われたくない、というのもありました。それが良い方に出て、結果としてハッピーとのコンビで3戦3勝となりました。ほっとしたというのが一番です。
-:騎手人生最高の日でしたか?
吉:そこでピークが終わってしまうのは嫌ですが(笑)、最高の日であったことは間違いないです。森下先生の100勝目も僕がアエノカルティエで獲れたというのも本当に縁があったなと思います。その日に3勝したのも森下先生にとって初めてでしたし、特別な日だったと思います。
ハッピースプリントの吉原寛人騎手インタビュー(後半)
「JDDは東京ダービー以上のデキで!」はコチラ⇒
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■主な表彰 |
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デビューイヤーに95勝、JRAでも勝ち星を挙げるなど、輝かしい騎手デビューを果たすと、翌年には金沢競馬史上最速で地方通算100勝を達成。06年にはオーストラリア遠征を敢行、08年には史上最年少でNARグランプリベストフェアプレイ賞を受賞。 |