南アフリカW杯 開催中の本音
2011/8/28(日)
そんな付き合いの長い松井さんがワールドカップに出られるって決まったときは高田さんも嬉しかったんじゃないですか?
高:この29歳で迎えるワールドカップの為に23歳からフランスに行ってたのも知っているし、その6年の間で苦しかった時期も知っているし。そのワールドカップに実際に主力として出て目標を成し遂げたわけやから…、凄いなと思います。
松井さんも今年の2月に出版された著書【独破力】に「ワールドカップ出場が夢」とありましたけど、実際に達成されていかがですか?
松:そうですね、やっぱりどうしても欲が出てきますよね。「もっと先まで行きたい」とか「パラグアイに勝っていればベスト8やったのに」とか「もうちょっとあのチームでやりたかった」とか。だから達成感とかは…。周りはフィーバーしていますけど、僕たち選手は全然変わらないですね。やっぱり苦しいときを知っているし、長かった苦労の時期があったので、僕たちはテレビに出ようが何しようが変わらないから。
ワールドカップ期間中も高田さんとは結構連絡を取り合ったんですか?
松:メールと電話をしました。集中したいんですけど電話がかかってくるんですよ。 相変わらずなんで(笑)。
高:いや、ヒマしてるやろな、と思って。
松:ヒマをしていても、日本からの連絡って、携帯にかかってきた時点で金がかかるんですよ。だからパソコンのスカイプにしてって言って。
高:スカイプも鳴らしたけど普通に出えへん。もう出えへんのが当たり前やから。結構大事な用事のときもあるんで、そういうときはメッチャかけるんですよ。でも出ない。
松:着信履歴が10件くらいあったときがありましたからね(笑)!「これは凄い…」と。でも大会期間中はほとんど電話に出なかったすもん。いろいろやることが…
高:大して何もすることなくて、絶対にヒマやったやろ(笑)!!
松:いやいや、ちゃうって。もう何か…忙しかったっす。嘉人(大久保嘉人選手)と釣り行ったりしてたから。
釣りですか。他にも何かされました?
松:ゴルフ、卓球、マリオカート。
高:誰か卓球が上手い人おったよな?
松:俺や。もうスマッシュばっかやってたもん。フランスでは日本人は卓球上手いと思われてるから。「卓球上手いんだろ?」みたいな感じで。
松井さんは、このワールドカップを経験して、良かったなと思えることはありましたか?
松:凄くチームが一丸となったのがビックリしましたね。元々みんな喋っていましたけど、途中くらいから、あれだけ仲良くなるとは思わなかったですね。みんなでマリオカートしたり、ベテラン組がほんまによく喋るし、よくイジられて(笑)。やっぱり上の人がイジられるってことは、上下関係が無くなるわけじゃないですか?ほんまに一つにまとまっていたというか。
高:それは今までの代表に無い空気だったってこと?
松:空気というか、雰囲気がメッチャ良かったですよ。カメルーンに勝って、凄く良くなりましたね。まあでも、スイス合宿くらいからほんまにみんな仲良かったですけどね。
高:俺、あの時期はスポーツ新聞を全紙買ってたからね。全部読んでたもん。
松:トレセンにあるんやろ?
高:あるある。
松:だからそれ、買ってないんやろ?何でそこウソつくん!?
高:「買ってた」は間違いやけど(笑)。全紙チェックしてたよ。くまなく見てたけど「松井、全然喋ってねーよ!」みたいな感じやったけど。
意識的にマスコミに出ないようにされていたんですか?
松:いや、僕、テストマッチもベンチに入っていなかったし、カメルーン戦に出るまで最初はあまりレギュラーとして出ていなかったから。脚が痛くて3週間くらい休んでたし、みんなに「体調が上がって来ていない」って思われていたんで、取材も全然。
周りの評価はそんな感じだったときに、松井さんの手応えはどうだったんですか?
松:段々段々、上がっていったんですよね。スイス合宿が終わる頃には自分の中でピークを迎えて「やっとキレてきた」と。あのスイスの高地合宿は凄かったよ、ほんまに。もう山が凄いんですよ。富士山より高い山がボンボンあるところで、スキーヤーにとっては聖地みたいなとこらしいけど。
高:そうなんや。
松:だからほんまに空気が薄かった。ちょっとだけ走ってもハアハア肩で息するくらいやし、ボールも全然曲がらんかったもん。普通はカーブをかけたら、ちょっとは曲がるやん?それが曲がらん。ボールが回転したまま、まっすぐ飛んでくる。ボールも揺れて落ちてくるから、全然トラップが出来ない。
高:そんなに違うもんなんや。
松:だから、最初はみんなハンパなくバテてたからね。
高地合宿で松井さんも変わるところがあった、と。
松:はい。
そしてワールドカップが始まって。
松:もう「勝ちたい」という気持ちだけでしたし、プレースタイル的にも周りに左右ざれずに個人で行くというところがあるので、どんどん行こうということをずっと心に決めていましたよね。やっぱり頑張れば将来的にオファーもあるだろうし「前半で倒れてもいいや」っていうくらい走りました。
途中で交代をされていましたけど、松井さんの体力的な手応えはいかがでしたか?
松:カメルーン戦はもう全くもってムリやったから、僕が手を挙げて「もうムリです。替えてください」みたいな感じやったんですけど、オランダ戦、デンマーク戦、パラグアイ戦はまだまだ行けたかな、と。
高:そういえば、あのやべっちFCでやってたような、かかとでボールを上げて交わすみたいなのは、なんで試合でやらへんかったの?
松:やりたかってん!ワールドカップでそれをやろう、とずっと思ってて。でも意外に芝が濡れてて出来ひんかってん。メッチャやりたかってん!!
高:やっぱりピッチコンディションも大事なん?
松:大事大事。やる場所も大事やし、監督怒るやん。怖いやん。だから…
高:アハハ(笑)。でも泣いたなー、最後のパラグアイ戦。まあ俺は一人で観てたんやけど…。
松:一人で観てたん!?何で一人で(笑)。それまでは?
高:ワイワイ観てた、みんなで。
松:それが悪かったんちゃうん(笑)!?でも、ほんまに勝てると思ったもん。あの試合が一番「勝てる」と思ってん。みんなパラグアイ戦は「行ける」と思ってた。何か知らんけど、凄い自信があってん。
試合で実際にあたった感触はどうだったんですか?
松:全然イケると思ったし、いつかゴールが決まるやろ、と思ってたんですよ。でも、パッとグラウンドに入った瞬間、メッチャしんどかったな。もう疲れが蓄積して。
高:強行日程やしね。
松:試合前には音楽を聴いてアドレナリンを出そうと思って。自分がしんどかったときのことや家族が喜んでいる姿を頭に思い浮かべて…。で、何でパラグアイ戦を一人で観てたの?
高: いや、俺マジで勝って欲しかって、マジで集中したかってん。ワイワイ観たくなかってん。「うわー、行けー」みたいなおチャラケノリで観たくなくて。メッチャ緊張しててん。
松:一人で緊張までしてたん(笑)!?なかなか無いで。
高:もうシーンとして、テレビだけつけて。電気も消しててん。で、手に汗握って観てた。こうやってサッカーを観てたんは初めてやな。で、もう泣いた。
松:アハハ!一人で。
高:泣いたねー。あれ泣くでしょ?で、また松井の気持ちになったりもするから「スッゲーキツいわ、これは」みたいな。多分、俺、選手並みに悔しかったんちゃうかな?
松:よく一人で気持ちをそこまで持っていってるよな(笑)。
高:俺ほんまに呆然としてもうて、何かG1で一番人気で負けたときみたいな…「あ・・・。」って。
高田さんは試合終了後そんな状況だったようですけど、松井さんのお気持ちはどうだったんですか?
松:終わったときは駒ちゃん(駒野友一選手)がPK外したし、駒ちゃんのところに行って。
高:真っ先に行ってたもんな。
松:同年代だから…。何でそこに行ったのかも全然覚えてないけど、駒ちゃんのとこに行かなあかんと思って。で、一緒にずーっと歩いているうちに「終わる」っていうのが現実味を帯びてくるわけじゃないですか。「もう一試合したかったな」とか「これでワールドカップ、もう終わってまうんや」っていうのがどんどん込み上げて来て、泣きたくなかったけど…ほんまに正直、試合でほとんど泣いたことが無くて。人前で泣くっていうのが凄く嫌いなんで。まあでも、普通に涙が出て来て、何も覚えてないというか「終わってしまったんや…」みたいな、そんな感じでした。
高:ほんまにメッチャ悔しかった。
松:そうやなあ。佑二くん(中澤佑二選手)たちも泣いていたし、ベテラン組が泣いていたっていうのは後から知ったんですけど、意外に泣いていた選手が多いなと思って。
高:みんな泣いてたよ。
松:滅多に泣かないですよ、みんな。淡々とする選手が多いんですよ。でもほんまに「イケる」と思ってたから…。団結力というか、だからこんなに仲良かったのかなあ、と。
高:チームが一丸となっているっていうのもあるし、チームだけじゃなく、日本中みんなが一つになった、みたいなところはあったよね。
プロフィール
松井 大輔(まつい だいすけ)
1981年5月11日生まれ 京都府出身
フランス、リーグ・アンのグルノーブル・フット38に所属するサッカー選手。
高校時代は鹿児島実業高校に入学。2000年に地元の京都パープルサンガに入団。日本代表デビューは2003年6月22日のコロンビア戦。2004年にフランスのル・マンUCにレンタル移籍し、翌年7月に完全移籍。2006年1月には日本人初、ル・マンUCのチーム史上初である月間MVPを受賞。2007-08シーズン終了後にASサンテティエンヌへ移籍し、2009年6月にグルノーブルへと移籍する。
2010年6月に2010 FIFAワールドカップにおける日本代表メンバーに選出。本大会直前の練習試合において右サイドハーフのポジションを獲得し、グループリーグ全三試合と決勝トーナメント一試合にスタメン出場。第一戦カメルーン戦においては決勝ゴールとなる本田圭佑のゴールを右サイドからのクロスでアシストするなど攻守に活躍し、日本代表の決勝トーナメント進出に貢献した。
高田潤(たかだ じゅん)
1980年11月3日生まれ 大阪府出身
1999年に騎手免許を取得すると、同年6月12日エアウィンスレット号で初勝利。2006年にドリームパスポート号で神戸新聞杯を制し、2008年中山大障害ではキングジョイ号で悲願のJ・GI制覇を果たす。現役ジョッキーの中でも数少ない平地、障害何でもござれの貴重な存在。09年11月20日に師である松田博資調教師の元を離れ、フリーに転向。自ら厳しい道を選ぶも着々と勝ち星を積み重ね、本年は更なる活躍が期待される。
一方で、明るい人柄から競馬界の内外を問わず交友関係は多彩。松井大輔氏をはじめとするスポーツ選手は言わずもがな、足しげくライブに出没しているように、特に関ジャニ8とはプライベートでも親交が深い。その人脈を生かした第二弾・第三弾の特別対談にもご期待いただきたい。