速さを求める競走馬と馬術の境界線

-:話は変わるのですが、大学の馬術部の環境を簡単に教えていただけないでしょうか。例えば、専修大学なら美浦の戸田調教師が現役の調教師さんになっていたり、JRAの職員の方がいらっしゃったり。なおかつ馬術部は上下関係も厳格だと聞きます。

池:専修大学卒業者でいえば藤原厩舎の攻め専の方たち等が黄金期でしたね。その後は関東の久保田先生や高柳先生ぐらいから明治大学に勢いがありました。明治大学卒で関西の調教師は僕だけですが。それに、毎年1人は、JRAの職員さんになっていましたね。セレクションで入ったメンバーは合宿所で暮らすのですが、古い厩舎の2階で先輩と同じ部屋。6畳ぐらいで3人、それで3段ベッドです。

-:かなりプライベートがないですね。

池:ないですね。絶対に先輩と同じ部屋なので、その辺が辛かったですね。合宿所自体が古くて、壁もひび割れしているような場所で……。例えるならコンクリートの築50年です。初めて見たときは「こんな所に住むのか!」と正直、思いました(笑)。

-:先生はそこでアイドル的な存在だった訳ですね。明治大学の一時期を支えていた方ですから。

池:毎年トップ選手が集まっての明治大学だったので、優勝するのが絶対みたいな感じでしたよ。

池添学調教師

-:先ほど言われていた「セレクション」というのは、高校の馬術部の中から上手い人だけが明治大学にいくわけですか?

池:その中で選手は数名なので、そこで勝ち残らないと……。明治大学は年功序列ではないので、上手ければ1年生でも試合に出られる。つまりは下剋上が可能ですね。

-:それで下剋上していったと。

池:2年生ぐらいからですね。

-:それまでは下積みの時代もあった訳ですね。その時に技術を上げていかれたと。

池:当時は馬術のことしか考えていなかったので。

-:先ほど「競馬と馬術はどこかで分かれる」とおっしゃいました。速さを求める競走馬と馬術の境界線は、どこにあるのですか?

池:これを話すとすごく細かいですね。あくまで僕の考えですが、馬場馬術の3課目程度の運動(馬場馬術は課目が上がるにつれ馬の首が立ってくる)が競走馬もできれば、それで十分だと思います。昔で言う3課目という演技構成がありますが、そこに入ってくるのは速歩。その速歩の中でもペースの違う速歩や駈歩でも両方の手前で駈歩、それで反対手前でヘビ乗りができたり、巻乗りができたり、その中で馬の頭頸の位置というのが少し……。

馬術は馬の首を、屈倒させるじゃないですか。課目のレベルが上がっていく毎に収縮を求められるので、首が水平から上に上がっていきます。首だけの話ではありませんが、あまり屈倒させるのは競走馬には必要ないと思います。3課目程度だと自然な形なのですよ。天井も向いていない、とはいえ巻き込んでもいない。常に馬がハミに対して前に出ている状態。だから、競走馬もそれぐらいの状態が理想です。より速く走るために自然な形を理想としていますね。


-:競馬を見ていると、馬の脚が伸びたり縮んだりしているスポーツじゃないですか。それで、馬によっては「伸ばす系の馬」もいますし、「上手く縮められて、溜めてポンとハジけれる馬」もいるけれども、本能的なものが多くて、人為的に32秒台の脚を出すのは難しいですか?

池:出せるように調教しろと言われても、それは無理な話ですよね。結局、競馬は一番速くゴールすれば良いスポーツで、距離が延びれば延びるほど道中の我慢が必要になる訳じゃないですか。それをいかに消耗させずにリラックスさせて最後に繋げるか、それに尽きます。この道中のトレーニングというのは、元を辿っていけば馬術的な要素が必要になってくると思うのですよね。ハミと人間が上手く繋がっていて、人間の指示に対して馬が反抗せずに我慢していく。それで、ビンビンの手応えでも伸びない馬っている訳じゃないですか。それは道中で消耗していますよね。見た目はすごい手応えだと思っていても、結局、そこで力を使っているから伸びない。そうじゃなくて、いかに力を道中使わずリラックスして走れるかですよね。


「ビンビンの手応えでも伸びない馬っている訳じゃないですか。それは道中で消耗していますよね。見た目はすごい手応えだと思っていても、結局、そこで力を使っているから伸びない。そうじゃなくて、いかに力を道中使わずリラックスして走れるかですよね」


-:競馬は体力勝負に見えて、実は精神力が重要なのですね。

池:それが大半じゃないですかね。やっぱり集団行動で、草食動物の馬なので。

-:しかも、レースでは枠も選べない訳ですから。

池:常にストレスが掛かっている訳ですから。人間に飼われること自体が、馬にとったらものすごいストレスなのでね。

-:その中でG1を戦っていく馬というのは、尊敬に値する生き物ですね。

池:すごいと思いますね。だから、厩舎側でも日頃から気を付けているのが、いかに馬にとって安心できる、休める場所であるかという点です。仕事が終わったら、スタッフは厩舎に残らずにすぐに帰る。人がいる時点で、馬にとったらストレスがあるんです。

池添学調教師

-:なるほど。もう一つ伺いたいのですが、馬は走っている時に重心は変わりますか?

池:やっぱり馬によって違いますね。科学的に言われているのが(重心は)12、13肋骨付近にあると言われています。

-:馬だけじゃなくて、チーターなどの動物が走っている映像を視ていても、重心というのは、センターはあるようで、伸びている時と縮んでいる時は全然違うように見えます。ジョッキーが時々尻もちをつくような動きをするのも、意図的に重心を合わせているのかなという気はするのです。

池:それは自転車に乗っていて、漕がない状態でどこまで進めるか競った時に、絶対に人間ってジッとはしていないと思いますよ。馬もそれと一緒だと思います。推進することによって、馬も前に行く。自転車に乗っていたら、騎手がああいう風に追うというのは理解できると思います。けれど、それが馬の邪魔になる可能性もありますよね。自転車は動かないから、人間がやればやっただけビューン、ビューンと伸びますが、馬は動いているので動きに合わせていないと。

-:自転車の関節は点で車輪が回転しているだけですが、馬の関節は色々あって全部使って動いているので、そこがまた違うと。

池:ええ。上手い騎手の動きをマネしても、みんなが同じだけ動かせるかと言ったら、全然違うと思いますね。基盤がシッカリしている騎手でないと、馬は動かないと思いますから。

-:馬に乗るのも相当難しそうですね。どんなスポーツでも、やっぱり下半身ですか?

池:そうですね。馬術は特に下半身が大事です。

池添学調教師

「固定観念を捨てる」がモットー

-:最後に池添学厩舎の特徴を教えて下さい。先ほど言われていた「馬の精神的なことを考慮して、厩舎というのは休ませる場所である」というのがひとつ。あとは、調教は個々の馬によって全然違うと思いますが、厩舎の大きな方針はあるかと思います。

池:そういう方針をつくらないのが、ウチの厩舎ですね。固定観念は捨てる。よくブレてはダメだと言われますが、ブレて良い方に進めばブレて良いと思います。取りあえず「柔軟性」ですね。何でも良いと思ったらやれば良いし、失敗したら次にやらなきゃ良い。そうして厩舎はできていくものだと思います。始めたばっかりの厩舎で、最初からウチはこれで行きますと言っては、結果が全然出ません。それなら、また一からやり直さないといけないじゃないですか。

自分の中での考えはありますが、それを強制的に言うんじゃなくて、やんわりと伝わる関係を作りたいです。あとは、スタッフと僕が経験を積むことによって、ドンドン良くしていけば、最終的に定年する時には厩舎の色ができているんじゃないですか。「これが池添学厩舎だ」というモノが。



「海外のトップクラスの選手を見て、何て自分はちっぽけなんだと痛感しました。そして、さらに努力して上を目指そうと思いました。現状に満足したら、絶対にそこで終わってしまうので。厩舎も同じですね」


-:それは、馬術の世界で先輩、後輩の中で揉まれて、キャプテンにまで成られていた池添先生だから、というところもあるのですか?

池:やっぱり上には上がいますからね。馬術でも僕の大学の成績が良かった時などは調子に乗っていましたが、そこで海外のトップクラスの選手を見て、何て自分はちっぽけなんだと痛感しました。そして、さらに努力して上を目指そうと思いました。現状に満足したら、絶対にそこで終わってしまうので。厩舎も同じですね。

-:馬と向き合うこと自体が答えのない世界なのでしょうね。

池:その答えが出せたら良いかなと、出したいなと思いますね。やっぱりファンの方々にも好きな馬がいて、その馬たちがレースに出るためにどれだけの人が関わって、どれだけの確率でその場所に立てているかを考えると、調教師が背負っているものはすごく大きいと思うのです。だから、僕の厩舎に入ってきている馬たちに対しても、その責任をしっかり感じてやらないと申し訳ないですよね。

-:この馬はこんな脚を使えるんだとか、こんな意外なレースもできるんだ、というのも競馬ファンにとって感動です。先行してポジションを取って勝つという王道競馬もあれば、一番後ろで我慢して瞬発力を活かす馬もいます。大逃げした方が良い馬もいます。段々、ビジネス色が強い競馬になってきて馬の個性がなくなってきたことは、僕らにとっては残念な一面です。

池:昔に比べたらね。昔は逃げのレジェンドテイオーとか個性的な馬が一杯いましたけどね。

-:より個性のある馬を育ててファンに見せて下さい。今後とも楽しみにしています。

池:ありがとうございます。

(取材・写真=高橋章夫 写真=武田明彦)

池添学調教師