騎手・木村健~豪腕が語る、盟友、名馬との思い出~ ロングインタビュー前編
2017/11/19(日)
『木村は象でも追える』と評するファンもいる豪快なフォームで、数々の反応が鈍い馬を動かし、穴を開けてきた木村健騎手。中央競馬でも大穴を開けるなど鮮烈な印象を与えてきたが、今秋、調教師を目指すことが発表された。競馬人生の転換点を迎えた木村騎手が、憧れの騎手や盟友の存在、そして共に栄冠を掴んできた名馬たちについて、今、語る。
-:今日はよろしくお願いします。色々と聞きたいことがあり過ぎて、何からお話を聞こうか迷うくらいなのですが、まずに読者の皆さんが聞きたいと思っているのは、木村騎手の腰の状態だと思います。かなり悪いようですね……。
木村健騎手:そうですね。悪かったです。ここ最近というか、乗っている時は必ず痛み止めを飲んで、レースに乗っていましたからね。かなり腰に負担が掛かっていたと思います。
-:職業病とは言いますが、木村騎手の場合は腰痛が理由の乗り替わりもかなりあったので、状態が心配でした。今後、もし調教師になられた場合に、調教などには乗られる予定ですか?
木:実は調教は今も乗っているんですけど、レースに乗らなかったら腰が楽で、今のところ痛み止めも飲まないで乗れているんです。
▲現在は第二のホースマン人生へ向けて準備中の木村健騎手
-:調教は毎日乗られているのですか?
木:今は田中範雄厩舎で1頭、そして西川厩舎の2頭、計3頭やっています。メッチャしんどいです(笑)。今は厩務員の仕事もしていますね。運動から寝ワラ作業から手入れとかも全部やっています。
-:やはりレースと調教、腰の状態は全然違うのですね。
木:そうですね。僕の場合は全身を使って追うので。
-:あの木村騎手独特のフォームが好きと言う人も多いですからね。独特なフォームもそうですが、馬を動かす秘訣のようなものはありますか?
木:普通の人とは追い方が違うなというのが自分でもありますし、けっこう腰をグイグイ入れるから、腰を使って全身で動かしているみたいな追い方なんです。
-:普段、園田競馬を観ていて、木村騎手は追っても下半身が全然ブレないなと思っていたんです。腰で押しながらも、それでも下半身がブレないので、ヨーロッパのトップジョッキーみたいだなと。昔から重心の意識はされていたのですか?
木:昔はそれこそ重心が上下して、ホント、初めは全然だったんです(笑)。デビューしてからずっと自分でビデオを録って、フォームを研究して……。デビューして、何か俺、下手やな……と思っていたので、常にビデオを録画して、それを持ち帰って家でも観ていたし、ずっとビデオを観ていましたね。何で俺は上下するのやと思ってね。馬の推進扶助じゃなくて、上下に、馬の上でバタバタしているような感じで……。
-:姿勢が高いということでしょうか?
木:そうですね。ポンピングみたいな感じで。そこから変えていこうと思いました。僕は西脇(兵庫県立西脇馬事公苑)でデビューしたんですけど、馬場を走って、下半身を鍛えようと思い、ずっと走ったりしていましたね。
-:正直なところ、園田にはズブい馬、硬い馬が多いと思うのですが、これが中央競馬だと馬の動かし方は全然違いますか?
木:ハッキリ言って芝は全然違いますね。スゴくスピードに乗っているので、本当にそれこそ折り合いが付かないと、終いはダメと言いますか。でも、ダートはズブい馬はズブいし、僕が乗って動く馬もいましたし、やっぱりダートは好きでしたね。
-:木村騎手の独特なフォームでお馴染みですが、追うこと以外に、何か普段競馬で心がけていることはありますか?
木:僕は、人気馬に乗っても3~4頭分、外を回るのが嫌なんですよ。強い馬だったら勝つと思うけど、僕の場合は強い馬をもっと強く勝たせたいんです。強い馬はみんな閉じ込めようとするから、強い馬は外を回るんですけど、僕はそんなことは気にしないで、自分の馬が強いと思ったら、一瞬開いた所を突っ込めるぐらいに動かそうと。自信を持ってそういう乗り方に徹してきました。
「(移籍願望は)いや、僕はなかったですね。園田が好きやから」
-:園田競馬で他に心がけていたことはありますか?
木:主導権を握れるよういつも意識しています。園田では1~2コーナーを大事にしていますね。1~2コーナーで掛からせないで、上がりに向けてギアを上げていくみたいな感じで。あそこで掛かっちゃうと、日頃の力を出し切れないで、1コーナーで競馬が終わってしまいます。あそこを大事にしているから、ラストの末脚に繋がっているんじゃないかと思いますね。
-:それこそ昔だと、(2008年、必見)楠賞のバンバンバンクのような感じでしょうか?
木:あれは一気に行ったね!あの頃の園田はけっこうマクりが利いていて、あれは僕も好きだったんですけど、向正面に坂が出来てからはなかなか決まらないようになって……。ただデビューしたての頃から、平松さん(平松徳彦元騎手・現調教師)のマクりに憧れていたから、勝った時は嬉しかったですね。
-:木村騎手は園田だけでなく全国で活躍されていましたが、中央への移籍願望はなかったのですか?
木:いや、僕はなかったですね。園田が好きやから。
-:大井の的場文男騎手も「大井が好きだから移籍しない」と言っていたようですが、木村騎手にとって園田競馬場のどのあたりが好きなのでしょう?
木:僕、ジョッキーになろうと思ったのが、園田競馬場なんです。小学生の時だったと思いますが、1度園田の観覧席で競馬を観させてもらったことがあって。最初に馬が近いというのが印象的でした。“何じゃ、これ、すごい迫力あるじゃん!”みたいな(笑)。それから段々カッコ良いなと思っていきましたね。これで騎手になろうとは思っていましたが、僕の所属厩舎である西川(精治)先生が1、2年目の時、僕が中学を卒業する前に、「タケ、騎手にならんか?」と声をかけてくれたんです。父とも一緒に乗っていた間柄で。西川先生には今でも感謝しています。
-:木村騎手の原点を見た気がします。