蘇る日本ダービーのエピソード。2013年、キズナでダービーを制した佐々木晶三調教師。当時はG1初挑戦、2度の敗戦を経ていながら、1番人気の支持を集めていたが、トレーナーはどんな秘策を持って競馬の祭典に挑んだのか。また、いよいよ6月からデビューする初年度産駒についても語っていただいた。

実はマイラー ダービー制覇まで距離をもたせた陣営

-:佐々木晶三先生にキズナのダービー制覇を振り返っていただきたいと思います。ダービーに至るまでに、ラジオNIKKEI杯(3着)、弥生賞(5着)と負けてしまいましたよね。

佐々木晶三調教師:ラジオNIKKEI杯は、僕のつくり方のミスでした。キズナ自体は、本質的にマイラーだと思うんですよ。それが、動きがあまりにも良いから、油断してしまった。そうすると、完全にマイラーの体になってしまいました。装鞍所に入ってくる時には失敗したなと思ったほど。プラス体重(+4キロ)以上に、体は完全にマイルの体になっていたね。

-:もうちょっと距離が持つような、シャープなルックスに仕上げないとけない方向性だったということですね。

キズナ

▲次週から始まる2歳新馬戦 キズナ産駒のデビューも待ちわびる佐々木晶三調教師

佐:追い切りの後のシルエットを見ていると、良い仕上がりだなと思ったけど、大反省しましたね。だから、ユタカちゃん(武豊騎手)も初めての騎乗だったし、馬もそういうマイルの体だったから、2回くらい頭を上げて、余計にチグハグなレースになってしまったからね。でも、ものすごく収穫があったのは、ヘナヘナになるところなんだけど、また直線で盛り返そうとしての3着。これはやっぱりタダ者じゃないなと思いましたね。そこで、自信を得たね。

-:馬に申し訳なかったと。

佐:かなり申し訳ない。その後は休養して、弥生賞に行ったんだけど、その前が引っ掛かったし、ユタカちゃんがまだ信じ切れていなかったのかな。それで、中途半端に内を狙おうとしていて、あと1ハロンでみんなの態勢が決まった時に、空いて突っ込んできたけど、すでに遅しの5着。その時点で“皐月賞は止めよう”ということになりました。結果的にそのレースを負けたことで、運がすごくこちらに向いてきたね。

-:結果を見たら、勝ち馬は後の皐月賞では4着でしたね。

佐:もし、そこで3着までに来ていたら、権利があるから皐月賞に行っていたでしょ?そうすると(皐月賞で)カミノタサハラが不利を受けて、大外から行っているんだよね。その後ろからウチが行って、ちょうど仕掛けるところだから、4コーナーでひょっとしたらポケットの方向まで飛ばされているかもしれないから、そういう面ではすごく運の強い馬だったと思いますね。権利をなくして、すぐに(皐月賞は)パスしたので。

-:その弥生賞の走りで、ユタカさんもちょっと見る眼を変えてくれたということですか。

佐:どういう乗り方が一番良いのかなと、2戦は完全に手探りのレースだったようです。これはユックリ行って、どんなことがあっても負けないから、スムーズな競馬をさせて終いを活かせれば、確実に脚を使うということは、ディープとそのままだと思ったみたいですね。

-:それを具体的に出来たのが毎日杯だった訳ですね。これで、ユタカさんもこのままの形で、ということでしたか。

キズナ

▲毎日杯で重賞初勝利

佐:教え込んだね。1回でもう教え込んだ感じですね。

-:経験を経て、ダービーに向かう訳ですが、ダービーに出走するというだけじゃなくて、勝てば凱旋門賞というプランが付いてくるということでしたね。

佐:それだけの気性でした。色々馬をやらせていただいて、この馬だったら海外に行っても動じないなと思って、会長ともお話をして“ダービーを勝ったら”という条件で話していました。斤量は圧倒的に3歳の方が有利だし、精神状態もすごく良いからね。タップダンスシチーで行かせてもらったけど、あの馬は燃えやすいところもあったからね。

-:キズナは、3歳にしてその精神力にドッシリ感があったということですね。

佐:この子は連れていっても、オドオドする馬じゃないなと思いましたね。行くのだったら、こういう馬だろうなと。

-:そのハードルというか、お題としてダービー制覇がありました、同世代にもエピファネイアなど強い馬もいたじゃないですか。先生自身はどういう風にレースに向かおうと考えていましたか。

佐:一番強いと思っていたから、余計な考えはなかったですね。この馬を最初にやっていた時から、1歳の時から取材を受けていたのだけど、「クラシックの馬でしょう」ということは言っていたから、負けるのが不思議でしょうがなかったもんね。国内で負けたその2回は、ハッキリ理由が付いているじゃない?理由が付いているほど、やりやすいことはないもんね。何で負けたんやろという、クエッションマークがないもん。“僕の失敗だな。ユタカちゃんがまだ馬を信じていない失敗だな”という、この2つだけだから。これだけハッキリしている馬というのはまずいないから。

-:逆に、連戦連勝で行って、弱点が見えないままダービーに向かうよりは、こうしたらダメだよ、というところがあって、行けたということは良かったですか。

佐:それもあるね。やっぱり失敗をしないと、失敗の何がアカンかったかが、分かりにくい場合があるからね。

-:この馬の限界点というか、ここまでやったらダメですよ、というポイントが見えている訳ですから、もう良いコンディションで出すだけでしたか。

佐:あとはローテーションをシッカリ守ってあげて、キズナにとって良いローテーションを組んであげて、会長に皐月賞はパスして下さいと。ユタカ本人も皐月賞に行けるし、2冠は行けると思っているから、モチベーションが下がっちゃうので、毎日杯を勝った後に、初めて「皐月賞はパスするよ」という話をして、ユタカちゃんも“あれっ”という顔をしていたけど、ダービーに照準を合わせているから、と言ったんですけどね。

-:年明けから3戦(弥生賞~毎日杯~京都新聞杯)してダービーということで、この4戦目がダービーというのは、キズナの体力的には心配なかったですか。

佐:一番良いかなと思いましたね。毎日杯から京都新聞杯まで7週間空いたでしょ。それで、京都新聞杯は負けても、結局、賞金的に出られそうだったから、良いかなと思って。

キズナ

-:1週前追い切りや最終追い切りでの思い出というのは何かありますか。

佐:負ける気が全然なかったからね。とにかく日々、淡々とでしたね。ダービーで周りが騒いでくれるし、楽しくてしょうがなかったですね。ひょっとしたら1番人気になるかもしれないということで、やれるほど嬉しいことはないよね。

-:その頃は確か盛り上がっちゃって、なかなか取材がしにくい状態でしたからね(苦笑)。

佐:しにくいというか、ケガをさせちゃ嫌だからね。隅っこで写真を撮られたり、言っているんだけど守らない人がいるからね。

-:取材規制をされていましたね。

佐:ダービーを勝った後でしょ?もう外国に行くから、ダービーの称号もあるし、ケガをさせたらアウトだから、それで規制を掛けたけど、ダービー前は規制してないですよ。ケガをさせたら嫌だということでしたね。

-:安心してレースは観られましたか。

佐:安心でしたね。負ける気がしないですからね。ユタカちゃんも言っていたけど、ゲートインに近付くにつれて、馬が大人しくなるんですよ。こういう馬が名馬の秘訣なんです。キズナ自体は、普段はすごくヤンチャだけど、追い切り、レースではビタッともしないからね。あんなにみんなが騒いでいても、鞍を着ける時も何も動かないからね。パドックでも無駄なことはいくらもしないしね。名馬とはあんなものかなと思うけどね。

キズナ

-:それも、先生は最初から予測していらっしゃって、田重田(静男厩務員)さんに担当をお任せしたというところがあるのですか。

佐:やっていることはみんな一緒だけど、やっぱりコツも違うし、この人は手を抜かない。ちょっと異常があれば、すぐに見つけるな、というのはベテランであり、一生懸命やってくれる人じゃないとダメ。

-:田重田さんと言えば、もともと佐々木厩舎にいた人ではなかったですね。

佐:向こうから「ウチに来たい」と言ったので。そこの厩舎には1年半しかいなかったから、もうちょっと待って、ということで、空きが出たら絶対に呼ぶからと。それで、空きが出たので、おいでよ、ということで。

-:そういう出会いがまた実を結ぶという。

佐:一緒に働いていたこともあったから、仕事が出来ることも知っているし、手を抜かないことも知っている。とにかく腕もあることを知っていたから、ウチの厩舎にも合いそうだなと思っていましたね。

キズナ

▲京都新聞杯のレース後、担当の田重田厩務員とキズナ

-:そういうキズナとの出会いだけじゃなくて、人との出会いもあり、キズナのダービーにも繋がっているということですね。

佐:アーネストリーも担当していたしね。

-:レースの直線はどんな感じでしたか?

佐:内側の馬が外に出てくるし、外の馬は内に出てくるわで、フラフラして挟まれなきゃ良いのにな、と思って、1ハロンくらいそんな状況が続いたからね。いやいや引っ張るなよと、それだけでしたね。(間に)入っちゃえ、入っちゃえと思ったけど、上手いこと入ってくれて。

-:上手いこと空いたというか、入ったというか。

佐:入ったというか、空いてくれて、空いた瞬間には“もう勝ったな”と思ったよ。パッと見たら、あと残り100mあったからね。

-:ゴールした後というのは、どんな感じでしたか。

佐:止めて帰ってくるのを4階でずっと見ていて、厩務員さんが地下道に入っていくのを見て、下りていったの。

キズナ

-:馬が安全に停止するのを確認してからということですね。

佐:そうそう。止まって、なかなか帰ってこなかったの。そしたら、幸(英明)君がわざわざ本馬場に出てきて、途中まで一緒に入ってくれて、ありがたいなと思って。

-:誘導馬ということですね。

佐:誘導馬をしてくれて。ファンの前で手を挙げて、これで落ちたら困るなと思って、馬のことはやっぱり大事だからね。梅田の智ちゃん(梅田智之調教師)も「下に下りないの?」と言うから、「厩務員が(口を)取ったのを見届けてから下りるわ」と言って。

-:普通だったら厩務員さんが迎えに行くけど、田重田さんが迎えに行かなかったとことですね。

佐:でも、地下馬道の途中まで下りていったよ。どこから出てくるか分からなかっただろうからね。

キズナ

-:ファンにとったら大喝采だった訳ですけど、先生としては、安全に厩務員さんのところまで戻るまで見届けたかったということですね。

佐:やっぱり見届けたいね。大事な馬だし、ケガでもしたらね。何があるか分からないのが馬だから、大観衆に驚くこともある。捕まるまで見ていて、落ちたらというのもあるし、ちゃんと(口を)取るまで見届けて、それからエレベーターで下りていったんですよ。

-:やっぱりファンと違って、一気に喜びが爆発出来ないところが、調教師さんという仕事の難しさですね。

佐:そうそう。一瞬で終わっちゃうからね。一瞬の“勝ったな、良かったな”で。あとは“とにかく無事で、無事で”という感じですね。だから、みんなそうだと思うよ。浮かれるということは、その夜かな。やっぱり終わってから、その実感というのが出てくるから。

-:何をしたい、そういうことじゃなくて、ただ良かったなという感じですか。

佐:良かったなということが永遠に続く訳でもないし、すぐに醒めちゃうしね。

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