元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
火の玉
2018/12/19(水)
皆様、こんにちは!東京でも初雪が観測され、真冬真っ最中の中いかがお過ごしでしょうか?我が家では恒例のこたつに冬用のチャンチャンコが登場し、北海道生まれにも関わらず寒いのが苦手な私は、着込みに着込みこたつでまるで猫のようになっています。そもそも北海道出身の方に多いのが、暖房器具をガンガンとかけ、家に入れば暑すぎるって人が多かった気がします。そのため、寒さに弱い人が多い気がしています。外は寒いけど、寒すぎて逆に家にいる。そして寒いから暖房で温める。それが北海道スタイルかもしれませんね(笑)。
そんな寒い中、競馬では熱い戦いが続いています。先週は阪神競馬場で朝日杯フューチュリティSが行われました。1番人気には鞍上ルメールを確保するために男馬との対決を決断したグランアレグリアが選ばれました。2番手には負けなしのアドマイヤマーズ、ファンタジストと続く形となりましたが、勝利したのはアドマイヤマーズとミルコのコンビでした。夏からコンビを組んで、今回で4戦目。乗る度に良くなる背中にミルコも興奮を隠せなかったと思います。
レースはスタート直後、アドマイヤマーズがハナになるのか?と思った矢先に、外からイッツクールが入る形に。これを見たアドマイヤマーズのミルコはこぶしで馬をひとつ下げました。本来ならば手綱でグッと引きたいところをこぶしひとつでギリギリの距離間で引かした技術には驚きすらありました。そして、半馬身ほど出遅れたグランアレグリアも包まれるのを嫌いだしていきました。その結果、少しハミを噛むような仕草を見せました。これはルメールにとって痛い箇所ではありました。しかし、その後の対応はさすが世界レベルと、馬を瞬時に落ち着かせました。平均ペースとなるも、前3頭に誰も競りかけないのを見て、レースは5番手までで決まると思いました。
前5頭に注目しながら見ていた4コーナー。長くいい脚を使えるアドマイヤマーズとミルコが早めに踏んでいくのが見えました。前にいたルメールとしてはしっかりと構えて、直線でバランスを直して引き離そうという考えだったと思います。しかし、早めにミルコが来たことで合わせ馬になり、ましてや直線に入るときには1馬身ほど前に出られたことで、内ラチに頼るしかないバランスになってしまいました。そこから立て直して追うも、差は縮まらず、ミルコがレコードとなる当レース4度目の勝利をあげました。
2着には内でずっとルメール、ミルコを見ていた藤岡佑君とクリノガウディーが入りました。4角の不利が無ければ、もっと際どい競馬ができたという手応えだったと思います。今回のレースは勝者が強かったこともありますが、玄人好みのする、まさにミルコマジックの炸裂と言ったレースだったと思います。多分、ミルコ自身も返し馬で、今日の調子ならなんでもできる。あとはどう相手を競り落とすだけというイメージができたことが大きかったと思います。これこそが友道厩舎という勝負の仕上げで、まさに陣営・馬・騎手全てが最高の仕事をしたレースでした。
2018年も今週と来週の金曜日を残すだけとなりました。毎年のように時が流れるのが早いことに驚かされます。そして何と言っても暮れのグランプリ有馬記念が行われますね。最後でない有馬記念にまだまだ違和感を覚えつつも、やはり一番楽しみになっているのも事実です。今年の1番人気に推奨されるのは、天皇賞(秋)を完勝したレイデオロでしょうね。実力も問題なく、鞍上は今年レコードを塗り替え続けているルメールに藤沢和厩舎のコンビが、先週のリベンジに燃えていると思います。それを阻止したいのが逃げる競馬で勝ちはないも常に複勝圏内へときているキセキと川田君のコンビ。個人的には今のスタイルは直線の短い中山が一番合うのではとも思っています。しかし、目標にされるだけに楽なレースにはならないでしょうが。
その他にもボウマンとのコンビ、シュヴァルクランに若き天才オイシン・マーフィーとのコンビで、どのような走りをするのか注目のミッキーロケット。香港ではなく年末のグランプリを選んだモズカッチャンと今年の世相を表すという有馬記念。選ばれた漢字は災い。先週はマーズだけに火が勝ったことからも、残るくくくに注目した方がよいかもしれません。クリストフ、クリスチャン、クリンチャーのくくくも面白いかもです。
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。