元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
1本勝ち!押忍!!
2021/2/10(水)
皆様、こんにちは!コロナ感染者の数が少しずつ減少傾向を見せるも、まだまだ油断ならない日々が続く中、JOC森会長の発言により日本の品格やオリンピック開催地としての評価が変わってきていますね。残念ながら、あの発言はしてはいけなかったと思います。しかし、昔ながらの人間が昔の風習から抜け出せないのは仕方がないことからもしれません。それは人が変わるというよりは、人を変えるしか方法がないことですからね。
携帯電話も今では当たり前のようにスマホが使われますが、この様な便利なものができることも、年齢がいっている人ほど「スマホは触ると壊れる」と思ってしまいがちですからね。日本の国技である柔道などオリンピックでの活躍をただ純粋に応援したい気持ちを大切に、任務を全うしてもらいたいなと思います。
競馬でも日本のスポーツ、カラテが東京新聞杯で正々堂々と1本勝ちを収めました。騎乗していた菅原明君にとっては初の重賞制覇となり、ガッツポーズや帰ってきたあとの涙ぐむ姿は年齢も近い孫に重ねて見てしまっていました。しかし、菅原君はケガがあり去年は少し伸び悩んだところもありましたが、達者に乗る子ですね。今回も1コーナーからエントシャイデンの出遅れなど想像していた形にならなかった際、すぐに前へと置く馬の標的を定め直し、絶対に焦らないと我慢しながら周りを見て競馬を進めました。
直線では前を行く馬達が伸び悩む中、早めに外の進路を確保しました。外からはカテドラルと絶好調の田辺君が素晴らしいレース運びで、これは勝ったか!?と思わされる末脚で来ましたが、一気に交わし切り見事な勝利を収めました。ゴール後には派手な正拳突きのようなガッツポーズが飛び出し、見ているこちらまでもが嬉しくなる勝利を挙げました。最後の直線では19歳らしからぬ進路を確保してから一気に追い出し、ムチの連続使用の規定10発を一発オーバーしてしまいましたが、その後はしっかりと規定の2完歩を空けて、また使用と激しさの中に冷静さをも持つ騎乗での勝利は素晴らしかったと思います。
休んでいる間も真面目に競馬を見てしっかりと勉強し、自分がこうなったらこうするという、何千にもおよぶシミュレーションを体に叩き込んできたからできたのだと思います。最後の直線の進路取りは少し戸惑いましたが、決して馬の力だけで勝てたレースではなかったと私は思います。まだまだ騎手としては帽子と同じ黄色帯ですが、必ず彼は黒帯になってくれると思っています。
同レースでもう一点見ていたポイントがトラインと典ちゃんのコンビでした。この馬は扱いが難しく、中京で豊川特別を勝った時の大外一気が忘れられない一頭です。その難しい馬に重賞でどう乗るのかが非常に楽しみだったんです。それをいとも簡単に内で早めにポジションを取り、もしや勝つのでは!?と思わせてくれたのですから流石としかいいようがありません。毎回毎回、馬の気持ちを考えながらやってくれる天才ならではの騎乗は5着といえど楽しくなりました。
そんな典ちゃんと息子の武史君が人気を集めそうな重賞が東京競馬場で行われます。今週からは東京・阪神・小倉の開催になります。阪神ですからね。お間違えなく!土曜日は東京でクイーンC、日曜日には阪神で京都記念、東京では先に記した共同通信杯が行われます。楽しみな親子対決になりそうな共同通信杯では、まずは2歳王者に迫ったステラヴェローチェと典ちゃんに注目が集まるでしょうね。前走でも今後が楽しみになるレースをしてくれましたし、力が違うと見せつけたいところだと思います。
しかし、楽しみなライバルが続々と出てきており、ステラを倒して一気にクラシック戦線に躍り出たい馬が揃っています。その対抗として指名したいのは先週のきさらぎ賞からスライドしてきたディオスバリエンテになります。どうしても初戦の勝ちっぷりが忘れられず、ここも通過してほしいと思っています。その他にも才能豊そうなシャフリヤールや鞍上を見るだけでも警戒したいキングストンボーイ、父に負けない気持ちを出してほしい武史君のエフフォーリアらがいます。果たして親子対決はどうなる!?クラシックに向けての力比べはどうなる!?と、楽しみが今週も盛りだくさんです。押忍!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。