第2章 人馬ともに悲願の桜花賞制覇 キストゥへヴンの知られざる逸話
2015/11/29(日)
-:安藤さんが、キストゥヘヴンに初めて乗られた時はどうでしたか?
安:その内情は全然分からなかった。未勝利勝った時は覚えているけど、けっこう乗りやすい馬で強いなと思って。その後、フラワーCはノリ(横山典弘騎手)が勝って、権利が獲れたんだけど、正直あの後、桜花賞で自分を乗せてくれるかどうかも全然知らなかったから。そういう部分で一番良い時に乗せてくれたんだなと(笑)。
戸:でも、あの時は本当に上手く噛み合ったというか、まず未勝利戦で勝ってくれたのが一番で、その時に安藤さんが「先生、これ走るぞ」と言ってくれたんですよ。確かにそこはマル混の牡馬と一緒のレースにも関わらず、楽に勝ってくれて、もともとフラワーCに行く予定で、そこは安藤さんが乗れないのは分かっていたので、その時は逆に、ノリちゃんにコイウタがいるからワンポイントだったんだよね。その時、安藤さんは確か乗りそうな馬がいたんですよ。でも、井上君と色々と話していて、安藤さんに言ってくれていたみたいで、ほとんど話ができていたの。勝ってすぐに電話をしたら「乗ります」と言ってくれて。
安:オレも井上さんに任せたままで、内情のことは全く聞かなかったけど、おかげ様でいい巡り合わせになりました。
戸:それの方が上手くいきますよね。
安:そうそう。そのためのエージェントなんだから。
-:キストゥヘヴンの桜花賞を振り返っていただきたいのですが?
安:正直、あの頃の阪神の内回りのマイルはすごく苦手だった(笑)。トラウマもあったから。
戸:最後の内回りだったから、今、思えば貴重でしたよね。
安:そういう意味ではすごく思い出に残ってるし、2着がアドマイヤ「キッス」でしょ(笑)。
戸:武ちゃんですよね。これ、ちょっと笑い話があって、今でこそ松田博資先生ともすごく親しくさせてもらっていて、未勝利で勝っても「良かったなぁ」と言って、電話をくれるほどなのですが、後から聞いた話では、あの時に僕らが座っている前に松田先生のお孫さんやファミリーが前の席にいて、その時はそこまで仲良くなかったから、直線に向いて、みんなでキッス、キッスと後ろで言うから、先生の馬を応援してくれてるのかと思ったらしく、ずっとキッス、キッスと僕もウチの馬を応援してくれているなと思っていて、ゴールして見たら「戸田さんのキスやった」と。
-:当時はキスキス馬券と言われましたね?
戸:「ずっとウチの馬を応援してくれてるように聞こえた」と言ってくれてね。
-:あの桜花賞はすごい脚でしたよね。
安:そうそう。反対に、阪神の内回りのマイルには自信がなかったから、良いや、出たまんまで終いに懸けようと思っていたから、欲を出さないで乗っていたし、そういう部分ではすごく良い脚を使ってくれた。
戸:今の阪神コースだと、結構ああいうパターンってあるんだけど、前のコースでああいう追い込みが決まったのはあまりないですよね。あれは完璧に、アドマイヤキッスの勝ちパターンなんですよ。昔の内回りのコースだったら、ちょっと届かないぐらいの展開だったけど、やっぱり展開と安藤さんが逆に開き直って乗ってくれたのが良かったのかなと。
アンカツさん騎乗で制した桜花賞での口取り
-:色々な裏話があるというか、すべてが噛み合った一戦だったんですね。
安:そう。本当に今思うとね。あれで、内回りは最後になったんだけど、あれから桜花賞には縁があって(笑)。
戸:マルセリーナで桜花賞を勝たれた時に、松田先生が面白いことを言っていたんですよ。ちょっとお手伝いじゃないですが、話をしていて、他の馬を使いに、あの日競馬場にいたんですよ。たしか1番人気じゃなかったですよね?
安:トライアルを使ってなかったんで、2番人気じゃなかったかな。
戸:その前までで3勝して②着も1回していて、勝率がすごくて、装鞍所で松田先生が「勝己が、ここ何年かで桜花賞3勝。これに俺は懸けた」とか言って、それで勝ってるんだから。
安:あれで4勝だね。あの時もよく覚えてるんだけどね。「ある程度行けよな」と言われてたのに、すぐに挟まれちゃって(笑)。これはしゃあねぇな、と内で我慢するしかなくて。あれで勝てたというのはやっぱり運があるんだよね。
戸:安藤さんは、桜花賞はJRAに来る前から縁があるレースだったから。
安:中央に行きたい、乗りたいというのはそれからだからね。ライデンリーダーで負けて、あれで初めて中央のG1に乗った訳だから。
-:「桜花賞マスター」への道はここから始まった訳ですね。
安:でも、あれだけ勝ったけど、最初に勝ったのがキストゥヘヴンだからね(笑)。
戸:あの馬は体のない子でした。今の若い調教師さんも突拍子ないことをする人が色々いますけども、僕なんかも色々と考えて火曜日に追い切りをしたんですよ。火曜日に坂路で追い切りをして、金曜日に運んで、土曜日に自ら行って調教に乗りました。調教に乗ったと言っても、大して乗っていないんだけど、要はスタッフみんなに相談したところ「この馬は、調教の後にすごいカイバを食べる」と言うんですよ。「ちょっとでも乗った方がカイバを食べる」と。ということは、火曜日に追い切って、金曜日に持っていって朝乗った方が食べる。前日に持っていっても乗らなかったら、ずっと競馬モードに入っちゃうから、そうするとカイバを食べなくなっちゃうかもしれない。金曜日に運ぶには、水曜日に追い切りはできない。G1だし、やっぱり火曜日しかないだろうということでそうしたんですよ。それで、金曜日に運んで、朝、装鞍所から馬場でちょこちょこと乗っただけなんだけど、やっぱり馬はカイバを食べてくれて。
安:神経質なところがある馬は、そういうものかもしれないね。たしか引退レースを勝って終われたんだよね?
戸:そうですね。最後はノリちゃんだったんですけど、頑張ってくれたというか、良かったと思います。
安:紆余曲折があった馬だけど、勝って引退したのもやっぱりすごいなと思って。
戸:だから、ありがたいなというかね。実はこの血統って、難しいんです。兄弟、全然走っていないんですよ。ただ、お婆ちゃんがものすごく良い血統で、お母さんの子供はあんまり走っていないんですよ。それは、みんな気性がきつくてね。キスもなかなか一筋縄ではいかないところがある中でやらせてもらって、僕らもすごく勉強になったし、本当に助けられた馬なんですけどね。桜花賞に勝った後に、生産者の人が辞めちゃったんです。挨拶がてら、ちょっとお母さんを見たいなと思って行ったんですよ。すると、お母さんが繁殖牝馬ではあり得ないぐらい煩かったんですよ。このお母さんじゃ、しょうがないな、みたいな。他の兄弟が走らないのも納得みたいな感じでしたけどね。
安:キストゥヘヴンの子供はどうなの?
戸:みんな馬の格好は悪くなかったんですけど、チチカステナンゴの子が2つ続いて、これがダメで、ハービンジャーの子は良いところまで来ていたんですけど、勝てなくて、出戻りを狙って門別で2連勝したので、戻せるようになって今は戻しています。今度の明け2歳がワークフォースでちょっと面白いかなと思うんですよね。角居先生のところのエピファネイアのお母さんのシーザリオも、最初はあんまり良い子は出さなかったんですよね。これからどうか分からないですけど、結局エピファネイアが3頭目で、それを聞いて僕もずっと期待はしているんですけど、いつかお母さんに負けないぐらい走ってくれる子が出たら良いなと思ってはいるんです。血統的には、牝馬が繁栄する血統みたいなんですよね。お婆ちゃんのスイープというのが結構良い繁殖だったんですよ。母系を繁栄させる血統らしいので、牝馬で跡継ぎになるような、ちょっと走ってくれる子が出たら良いなと思っています。
安藤勝己×戸田博文「名馬は一日にして成らず」(第3章)
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【戸田 博文】Hirofumi Toda
1963年10月1日生まれ、茨城県出身。
美浦トレーニングセンター所属の調教師。
専修大学馬術部出身で、1991年に高木嘉夫厩舎の厩務員としてキャリアをスタート。同年11月より八木沢勝美厩舎の調教助手となり、1995年に大久保洋吉厩舎へ移籍。2000年に調教師免許を取得し、翌年6月に厩舎を開業する。
2002年、トーセンリリーがエーデルワイス賞を勝って重賞初制覇。2006年のフラワーCをキストゥヘヴンで制してJRA重賞初制覇、同馬で続く桜花賞も制してG1初制覇を挙げた。以降もコンスタントに勝利を積み重ね、2013、14年春の天皇賞をフェノーメノで連覇。シビルウォーがダート重賞を5勝、何度も休養を余儀なくされたシンゲンで重賞を3勝。11歳まで現役で活躍させるなど、高い手腕を発揮。11月8日のみやこSではロワジャルダンが重賞初勝利をマークし、更なる躍進が期待されている。
プロフィール
【安藤 勝己】Katsumi Ando
1960年3月28日生まれ 愛知県出身。
76年に笠松競馬でデビュー。78年に初のリーディングに輝き、東海地区のトップ騎手として君臨。笠松所属時代に通算3299勝を挙げ、03年3月に地方からJRAに移籍を果たす。同年3月30日にビリーヴで高松宮記念を勝ちG1初制覇して以降、9年連続でG1を制覇。JRA通算重賞81勝(うちG1・22勝)を含む1111勝を挙げ、史上初の地方・中央ダブル1000勝を達成。13年1月惜しまれつつ騎手人生に終止符を打った。「競馬の素晴らしさを伝える仕事をしたい」と述べており、さらなる競馬界への貢献が期待されている。