第3章 ゴールドアグリで新潟2歳S制覇
2015/11/29(日)
安:そういやぁ、ゴールドアグリで新潟2歳Sも勝ったね。
戸:あの馬は、本当に最初で最後で。でも、あの時、ゴール前で影を見て吹っ飛んだじゃないですか。
安:そうそう。
戸:その後もずっと使っていたのに、全然ダメだったじゃないですか。あれは骨折していたんですよ。トモの分かりにくいところが。
安:しばらく経ってから分かったの?
戸:それが、新潟2歳Sが終わって、秋の京王杯2歳Sを使ってダメで、朝日杯フューチュリティSを使ってもダメで、おかしいな、こんなんじゃないと言っていて、その後によく検査をしたら、骨折していて「今回の競馬で骨折したものじゃない」と。逆算したら、やっぱりあの新潟の後だと。安藤さんも京王杯2歳Sの後に「これはおかしいわ」と言ってましたよね。色々とケアしながら行ったんだけど、やっぱり獣医さんも「これは分かり辛い」と。でも、馬は気にしていたみたいね。普段の歩様でも見せないんですよ。
安:トモだと余計にそうだろうね。
戸:今は、調教コースがウッドだとクッションが良いから、それぐらいだと全然分かんないんですよね。その程度の骨折なんだけど、やっぱりレースの硬い馬場に行けば、響くか何かしていたみたいで、あれが、あの馬が重賞を勝ったのは最初で最後だったんですけど、骨折は大きかったと思うので。あれも面白いことに、新馬はノリちゃんだったの。ノリちゃんも「これはなかなか面白いぞ」と言って、新潟2歳Sでも使おうかと言ったら「面白いね」みたいな感じもあったんですけど、エージェントの人が「そこは行けないんですよ」と。話半分で井上さんに電話をしたら「行きます」と。
だから、あの時の井上さんの判断も良かったんですよね。組合馬主さんという新しい馬主さんで、初めて持った馬に近かったのかな。だから、すごく喜んでくれたけど、あの後はなかなかね。簡単な骨折だったら、良くなる馬もいるんですけど、意外とそういう骨折とかすると後々引いて。もうちょっと良いとこまで行けた馬かもしれないですけど、分からない骨折に限って、後々引いちゃうんですよね。その後、安藤さんにも悪い状態で乗ってもらって申し訳なかったですね。
-:ゴールドアグリも最後に準オープンを勝って引退されたんですね。
戸:そうですね。一応、オープンに返り咲きできたので、良かったなとは思っていますけどね。
-:もっと大きく出世する可能性があったと?
戸:骨折がなければ、あったかなと思いますよね。
安藤勝己×戸田博文「名馬は一日にして成らず」(第4章)
「チャンピオンズCに堂々の出走 ダート界の新星ロワジャルダン」はコチラ⇒
【戸田 博文】Hirofumi Toda
1963年10月1日生まれ、茨城県出身。
美浦トレーニングセンター所属の調教師。
専修大学馬術部出身で、1991年に高木嘉夫厩舎の厩務員としてキャリアをスタート。同年11月より八木沢勝美厩舎の調教助手となり、1995年に大久保洋吉厩舎へ移籍。2000年に調教師免許を取得し、翌年6月に厩舎を開業する。
2002年、トーセンリリーがエーデルワイス賞を勝って重賞初制覇。2006年のフラワーCをキストゥヘヴンで制してJRA重賞初制覇、同馬で続く桜花賞も制してG1初制覇を挙げた。以降もコンスタントに勝利を積み重ね、2013、14年春の天皇賞をフェノーメノで連覇。シビルウォーがダート重賞を5勝、何度も休養を余儀なくされたシンゲンで重賞を3勝。11歳まで現役で活躍させるなど、高い手腕を発揮。11月8日のみやこSではロワジャルダンが重賞初勝利をマークし、更なる躍進が期待されている。
プロフィール
【安藤 勝己】Katsumi Ando
1960年3月28日生まれ 愛知県出身。
76年に笠松競馬でデビュー。78年に初のリーディングに輝き、東海地区のトップ騎手として君臨。笠松所属時代に通算3299勝を挙げ、03年3月に地方からJRAに移籍を果たす。同年3月30日にビリーヴで高松宮記念を勝ちG1初制覇して以降、9年連続でG1を制覇。JRA通算重賞81勝(うちG1・22勝)を含む1111勝を挙げ、史上初の地方・中央ダブル1000勝を達成。13年1月惜しまれつつ騎手人生に終止符を打った。「競馬の素晴らしさを伝える仕事をしたい」と述べており、さらなる競馬界への貢献が期待されている。