平松さとし寄稿『福永祐一がアメリカ西海岸で手にしたもの』

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平松さとし寄稿『福永祐一がアメリカ西海岸で手にしたもの』

来る日も来る日も真っ青の空。通年で快晴続きのアメリカ西海岸。この日のデルマー競馬場もそんな天気だった。パドックに現れた福永祐一は、軽く笑みを浮かべている。調教師とは英語で言葉を交わす。決して流暢なそれではないし、単語も限られている。それでも、十数年前に彼と共に海を越えた時のことを思えば、大きな進歩だ。やがて騎乗馬に跨った彼は、コースへと消えていく。スタンド前をパレードしたあとの返し馬。アメリカ競馬の手順に従いスタート地点へ向かう。馬場入りしてからスタートまでの時間は、日本と比べ物にならないくらい短い。これが今回のアメリカ遠征でのラスト騎乗。
ゲートが開く。福永の位置に目を凝らす……。

2011年。デビュー16年目にして初めてJRAリーディングの座を射止めた福永祐一。更なる飛躍を求め、今年12年の夏は、戦いの場をアメリカに移した。

「海外は嫌い」
「行く時期ではない」

以前、海外遠征について伺った時にはこんなことも言っていた。その男が、何故いまこの時期にアメリカへ飛んだのか……。実際に彼をアメリカまで追いかけて、その理由や2カ月間の感想を聞いてみた。

「海外遠征はタイミングが合えばしたいとは思っていました」


カリフォルニアの青空の下、そう口を開いた。実績のない若い時は、長い期間、日本を空けることが怖かった。また、二人の師匠、すなわち北橋修二と瀬戸口勉が厩舎を構えている間は勝手な行動を出来なかったと続ける。

「二人はとにかく僕を助けてくれました。オーナーが『福永じゃダメ』と言っているような場合でも、なんとか乗せてあげて下さいと頼んで乗せてもらえていました。それほどまでにサポートしてくれる人がいるのに、自分勝手な行動はできませんでした」

しかし、二人が引退し、自らも日本でリーディングを獲ったことで、機が熟した。

「今なら少しの間、日本を離れてもすぐに乗り馬がいなくなっちゃうようなことはないと思います。それだけの技術も身につけたつもりだし、自信も出来ましたから……」


そんな折り、アメリカ遠征の話をもらった。そうなれば、「海外が嫌い」などと言っている場合ではなかった。より一層の極みに向かうため、海を越える決断をした。

「乗れるかどうか分からない状況で海外へ行くつもりはありませんでした。でも、今回いただいた話では、優秀なエージェントがいて、競馬にも乗れるということでした。それならば、今の自分の腕がどこまで通用するのか試してみたいという気持ちで行くことに決めました」

しかし、実際にきてみて、世界に出ることの厳しさを知った。なかなか良い馬に騎乗することは出来なかった。そんな中で勝つことは、もちろん容易なことではなかった。約2カ月の遠征で挙げた勝ち鞍は僅かに1つ。決して満足できるそれではなかっただろう。

「当然、満足はしていません」

ただ、何勝したら満足できるという問題ではないと言い、来てすぐにポンポン勝てるとは思っていなかったので覚悟は出来ていたと続ける。私が滞在していた間に騎乗したレースでも、苦戦が続いた。後方のまま、全く見せ場すらないまま終わったレースもあった。逃げて見せ場は十分に作ったものの、最後は失速し僅かに差された騎乗もあった。なかなか先頭でフィニッシュラインを切らせてはもらえなかった。アメリカ競馬では当たり前の乗り替わりも幾度となく喰らった。唯一勝利を挙げた馬も、乗り替わりになった。落ち込み、肩を落とす日もあった。正直言うと帰ろうかと思ったこともあったと言う。それでも、なんとか二カ月を乗り切った。

「本当は二カ月で感触を掴んで『また帰って来い』と言ってもらえるような競馬をするつもりでした。でも、そこまでの成績は残せませんでした。ただ、だからと言って手応えがまったくなかったわけではありません」

そして、今回の遠征を無駄にしないためにもその手応えを、日本に戻ってからの騎乗に生かすことはマストだと旗幟鮮明に語る。90年代の終わりに、私は福永と共にフランスやイギリスへ渡ったことがある。当時の彼は言葉の壁を乗り越えようともせず、使う英語と言えば"Yes"と"No"くらい。それでもかの地にいる時は、「帰国したらまた来られるように勉強しないと……」などと言っていた。


しかし、実際に帰国してみると、そんな素振りは微塵もみせなかった。多忙な毎日に追われ、元来嫌いだった海外への道は、自ら閉ざしたかに思えた。ところがいつの間にか英語を勉強していた。そして、二カ月のアメリカ遠征を敢行した。9月2日。最後の騎乗となったレースはインを回り好手応えで直線に向いた。前が開けば……という態勢になったが、結局最後は脚をなくし後退した。レース前、笑いながら「有終の美を……」と語っていた願いは空しく消えた。

そううまくはいかないな……と言いながら上がってきた。ジョッキールームで着替え、荷物をまとめた。二カ月に及ぶ遠征に、これで終止符を打った。勝ち鞍は1つだけ。でも、競馬で負けることは本当の"敗戦"ではない。辞めて途中で投げ出せば、それこそが"敗戦"だ。そういう意味で、目標としていた期間を乗り切った彼の今回の遠征は決して敗戦ではない"。

福永は言う。
「今回の遠征の成果は、日本に帰ってからの成績次第だと思っています」
9月8日から、福永は日本での騎乗を再開する。成長した新しい福永の活躍に期待したい。



平松さとし
ターフライター。1965年2月生まれ。
昭和63年に競馬専門紙「ケイシュウNEWS」に就職。その後、2紙経た後、フリーランスに。現在は雑誌や新聞の他にテレビの台本書きや出演、各種イベントの演出などを行う。毎年のようにブリーダーズCや凱旋門賞、ドバイワールドCを観に行くなど、世界中を飛び回る。そのお陰もあって、欧州におけるJRA所属馬のG1全17勝(平成24年現在)のうち16勝をライヴで目撃している。