1991年の宝塚記念を勝ったメジロライアンが死亡

横山典弘騎手とのコンビで人気を博し、1991年の宝塚記念Vや、前年のオグリキャップがラストランを飾った有馬記念で2着に入ったメジロライアンが17日朝、余生を送っていた北海道のレイクヴィラファームで老衰のため死亡した。29歳だった。

同馬は1989年7月に函館でデビュー。11月の東京で4戦目に初勝利を挙げ、同年暮れのひいらぎ賞から翌年の弥生賞まで3連勝して、クラシックの有力候補となった。しかし、クラシック本番では皐月賞がハクタイセイの3着、ダービーはアイネスフウジンに1馬身1/4差及ばず2着。トライアルの京都新聞杯をレコード勝ちし、単枠に指定された菊花賞は上がり馬メジロマックイーンに3着と敗れて無冠。初めて古馬に挑んだ有馬記念は、オグリキャップ奇跡の復活の前に3/4馬身差の2着と涙を飲み続けた。

最初で最後のG1タイトル獲得となったのが翌年の宝塚記念。年明け初戦の中山記念で2着、春の天皇賞で4着と、前年のクラシックから後方待機策での惜敗が続いたメジロライアンをこのレースでは4角先頭の奇策に打って出て同期のライバルであるメジロマックイーンを完封。悲願のビッグタイトル制覇となった。その後は脚部不安に見舞われ、有馬記念12着、アメリカJCC6着と完敗。日経賞で復活星を挙げたものの、再度脚部不安を発症し、現役を引退した。

引退後は種牡馬として初年度からG1を5勝したメジロドーベル、天皇賞(春)を勝ったメジロブライトなどの活躍馬を輩出。2007年に種牡馬を引退し、その後は故郷のメジロ牧場(現レイクヴィラファーム)で余生を送り、函館競馬場のイベントにも度々登場。現役時代に主戦を務めた横山典弘騎手が騎乗してキャンターを披露するなど若々しい姿を見せていた。通算成績は19戦7勝(重賞4勝)。

【レイクヴィラファーム・岩崎義久氏のコメント】
「現役時代から多くのファンに応援をしていただきありがとうございました。種牡馬を引退してからこちらに移動してからも多くのファンが毎年会いに来てくださいましたので残念でなりません。応援してくださった方々に、この場を借りてお礼申し上げます」

メジロライアン(牡29)
父:アンバーシャダイ
母:メジロチェイサー
母の父:メジロサンマン
競走成績:19戦7勝
主な勝鞍:
1991年 宝塚記念(G1)
1992年 日経賞(G2)
1990年 京都新聞杯(G2)
1990年 弥生賞(G2)