通算2028勝の名騎手が調教師として第2のホースマン人生へ
2020/1/9(木)
南関東を代表するジョッキーとして一時代を築き、通算2028勝の実績を残した坂井英光元騎手。昨年11月、晴れて調教師試験に合格し、栗東トレーニングセンターで研修の日々を送っている。約25年にわたる騎手人生を回顧。そして、調教師としての第2のホースマン人生に懸ける思いをタップリと語っていただいた。(取材:2019年12月)
-:1995年に大井でのデビュー以来、長年の騎手人生、お疲れ様でした。調教師試験を受験されていることは存じていましたが、昨年11月の試験合格後、翌日の競馬をもって最後の騎乗を終えられ、現在は栗東で研修中。調教師になることを決意された理由を教えていただけますか。
坂井英光調教師・元騎手:やっぱり成績ですね。それに尽きます。正直、もう少し長く続けたかったけど、3~4年前から厳しいと思っていました。ただ諦めるのはすごく悔しかったし、色々もがいたけど…。このままやるのも中途半端かなと思いました。いずれ調教師になる訳だし、それだったら早い方が良いじゃないですか。今でも100勝以上していて、ジョッキーをやっていたから、50歳過ぎの開業になる。プラスに考えると、早めに辞めたことは良いこともあったと。悔しいのは悔しいけどね。それは調教師になって、悔しさをエネルギーにすれば良いかなと思いますね。
-:長年、ジョッキーをやっていて、やりがいのあったこと辛かったことを挙げていただくと。
坂:最後の4年間は辛かったですね。悔しかったですけど、厩務員さんや調教師さんでも自分の成績が下がっても、手を差し伸べてくれた人がいたし、今でも感謝の思いもありますし、その経験は調教師になったら活きるとプラスには考えていますけどね。やっぱり良い時は黙っていても馬が集まるもの。一番良い時は年間100勝し始めた時で、(戸崎)圭太と一緒にリーディングを昇っていた時は、競馬に夢中になっていたというか、すごく楽しかったですよね。
-:自分たちの新しい時代だぞという思いもあったのですか。
坂:この勢いでトップまで突き抜けたいなというのはありましたね。圭太もいた訳で、負けたくなかった。一緒にこのまま上に行けたら楽しいだろうなというのもあったしね。
-:その戸崎さんは石崎(隆之元騎手)さんを尊敬していたとよく口にされています。坂井さんにとっての騎手時代の恩師や先輩はどなたでしょうか。
坂:デビューした頃に一番影響を受けたのは張田(京)さん(元騎手、調教師)ですね。自分が所属していた厩舎が張田さんを乗せていたのが大きいのですが、僕が結果を出せない馬でも乗り替わりで簡単に勝たれましたからね。しかも、何回も何回もやられて、コテンパンでしたね。“これは馬の力だけじゃない。ジョッキーの力が大きい”と痛感させられましたし、馬のせいにしたら、騎手として向上できずに終わるなと思って、馬は絶対に騎手で変わると感じさせられましたね。それが騎手として頑張れた要因の一つです。ジョッキーをやっている時、自分はあまり馬や人のせいにしなかったと思うんですけど、それは張田さんの影響が大きかったと思いますね。それくらい乗り替わりで相当勝たれましたから。
でも、僕も日本史上一番のジョッキーと思うくらい、石崎さんを尊敬していましたけどね。南関東には“信者”はけっこう多いと思いますよ。とんでもないジョッキーですからね。騎手って正解がないし、陸上競技のように数値値できないから、人によって好みもあるけど、やっぱり石崎さんはすごいなと思いますけどね。調教師では、もともと所属していた厩舎から栗田裕光先生のところに移籍させてもらって、大変お世話になりましたね。
-:ジョッキーとして競馬に臨むにあたって心掛けていたことはありましたか。
坂:とにかく単純に、誰よりも上手くなりたかっただけでした。でも、最終的にはやっぱり厩務員さんを大事にすることが第一でした。あまりジョッキーとして良い考えじゃないのかもしれないですけど、途中から数字的なことはあまり考えなくなりましたね。何故ならジョッキーは主役じゃないだろう、と思うようになったんですよね。馬がいて、それにお金を投資している馬主さんがいて、調教師もいる。でも、厩務員さんが一番時間を掛けて、色々やっているじゃないですか。
その馬が主役だとしたら、そこに携わる時間はジョッキーが一番少なくて、でも、一番目立つのがジョッキーという訳じゃないですか。そこをクローズアップした方が競馬も盛り上がるし、それは分かるけど、自分の考えとしてはジョッキーが主役ではなく、自分の成績ばかりにこだわるのは嫌だなと途中から思うようになりましたね。それは厩務員をやっていた親父や弟(坂井薫人元騎手)の影響もあるかもしれない。ただ、そこらへんは多分、圭太と違うかもしれない。アイツはやっぱり一番を獲りたいというタイプだろうしね。
-:ジョッキー時代の思い出の馬はいましたか。
坂:2頭いるんですけど、一番思い入れがある馬はアイカワファーストです。正直、あまり名前が売れていないというか、重賞も勝っていないんだけど、調教師になるにあたっても、自分にとって大きい存在だと思っています。自分が(所属厩舎から)栗田裕光先生のところに行って、半年くらいの頃に初めて会いましたね。初戦(2002年12月7日)は納谷(和玖)さん(現調教師)が乗って負けたんですけど、2戦目に行く前にゲート練習をしたら、メチャクチャ悪くて、振り落として出ていっちゃったんですよ。それで、的場(文男)さんを呼んで、やってもらってもひっくり返って「もう手が付けられないし、競馬を使えない」となったんです。仕方ないから厩舎で何とかするということになって、ゲートで縛り付けて、治すことをやったんですけど、それでもすごいことになって…。危ないから放すと、ひっくり返って頭蓋骨を折って、鼻血を吹いてしまって…。だけど、厩に帰るとカイバを全部平らげるような化け物みたいな馬だったんですよ。
それを「お前、やってみるか?」と言われて、1年を掛けて治したんですよね。北海道で外国人が開業している牧場があって、その人が上手いと聞いたのでそこに持っていきましたね。自分も北海道に行って、ゲート練習をしたり、大井に戻ってからも、牧場に連れていって、障害を飛ばしたり。要は障害を飛ばすことで、人の言うことをちゃんと聞かせるためですね。ゲートの前に馬運車の前でジッとさせたりもしたなあ。とにかく色々やったんですよ。大井だと能力試験があるからゲート試験をクリアしないといけないじゃないですか。その時にクリアしたんですけど、厩務員が総出で来てくれて、自分もすごい時間を掛けてやったし、このチャンスをモノにしたいというのもあったし、すごく期待していた馬でしたからね。
ゲート練習を合格した時に、栗田先生もスタッフも泣いていたほどです。その後、自分が騎手として成功してからはあまり調教もやらなくなったんですけど、そういうチームでつくるというか、その馬もそれからけっこう走りましたけどね。オープンまでは行かなかったですけど、3連勝(2回)もしたことがあって、一番記憶に残っている馬でもあるし、自分の中でも、一つこれから調教師になる上で、大きなエピソードですね。ただ、最終的には9勝したので決して走らなかった訳じゃないんですけど、自分の言うことを聞き過ぎるようになって、狂暴さがなくなりましたからね。競走馬としては物足りなさも出てしまいました…。その経験もあって、調教師になってもみんなで協力して、馬づくりや厩舎づくりをしたいという意識がありますね
-:従順になり過ぎてしまったということですね。
坂:でも、それも勉強になりましたね。あとはブルーホーク(17戦12勝)という走った馬がいるんですけど、ずっと自分が乗り続けていたし、思い入れはありますね。サンタアニタトロフィーを勝った時も、当時、自分が乗っていたコウエイノホシが大本命で乗り馬がかちあったんです。ブルーホークは8カ月振りだったから体も出来ていなかったし、どちらに乗るか迷いましたが、ブルーホークを選んだら勝ってくれて。
ただ、その10日後くらいに腹痛で亡くなってしまったから…。あの馬の将来がどれくらいだったか、見てみたい思いはありました。おそらく重賞はいくつも勝っただろうし、交流重賞でもどこかで勝ったと。重賞初挑戦が東京大賞典で故障してしまったのですけど、メンバーもすごかったんですよ(カネヒキリ、ヴァーミリアン、サクセスブロッケン、ブルーコンコルド、フリオーソ、ボンネビルレコードなど)。それで、ハナに行ってそんなに負けていないんですよね(勝ち馬から1.2秒差7着)。フリオーソとは1馬身、ボンネビルレコードとは半馬身差でしたからね。その前は6連勝していましたし、来年はフリオーソを負かすぞと思っていましたから、無事だったらと残念でしたね。
-:現在、負傷でリハビリ中の元・同僚の戸崎圭太騎手のエピソードも教えていただけますか?戸崎さんも「南関東時代、坂井さんと切磋琢磨してきた」といった話をされていました。
▲戸崎騎手の通算1000勝ジャンパーを着ていた坂井師
坂:そう言ってくれるのは嬉しいですね。自分も数字や人を気にする方じゃないんだけど、若い時はお互いに成績を上げていって、後にも先にも意識したのは(戸崎)圭太だけ。ちょうど自分たちが大井で成績が上がってきた時ですね。途中でコイツとは格が違うなと思ったんですけど、JRAに行く時も一競馬ファンとして、アイツでどれくらい通用するのかというのも興味があったし、応援していました。
ご存知だと思うけど、人間的にも素晴らしい。後輩と言っても、尊敬しかなかったからね。僕も同業者だったけど、今はもう(騎手を)辞めたから、地方代表というか、大井で一緒にやってきた仲間だし、外国人ジョッキーに負けて欲しくないという気持ちはありますね。アイツはああいう性格だし、今回のケガもプラスに捉えて、また復帰したら、以前より良い感じで乗ってくれるんじゃないですかね。今は外国人や川田将雅騎手が上の成績だけど、踏ん張って、もう一花というか、トップに返り咲いてほしいね。
-:同じ場所でやってきて戸崎騎手のセールスポイントどんなところでしょうか。
坂:気持ちの良さもあるし、負けず嫌いで、良い意味で真面目ですよね。ジョッキーって、あまり真面目過ぎるのはマイナスに出る時もあるんだけど、アイツの真面目さはすごく良いバランスが取れているんじゃないかなと。それに頭が良いというか、物事の捉え方がプラスにも捉えるし、負けたことを簡単に言い訳もしないし、それをちゃんと受け止めて、自分でどうしたら良いのかを考えていますからね。正直、ジョッキーは言い訳の材料がメチャクチャあるじゃないですか。言い方は悪いけど、大半のジョッキーは言い訳が多いんですよ。アイツはそこが絶対にないですから。
-:毎週、話を聞かせてもらっていると、いい意味で言い訳という本音をこぼしてくれても良いのに、ということもありますけどね。
坂:それこそが本音なんじゃないですかね。僕なんかとしゃべっていても、基本は本音ですから、厩舎や馬のせいとは言わないですね。ただ、最初はアイツも大して上手くなかったから、あそこまでになると思わなかったなあ(笑)。
-:他の大井のジョッキーの方々も言っていましたね。
坂:例えば(真島)大輔はどちらかと言えば、天才肌。最初からセンスがあって、かなりのモノを持っていましたからね。圭太も下手ではなかったですけど、そんなにたいしたものじゃなかったので、言うなら中の上くらいかな。確かにあのキャラクターも得して、こうなった部分もある。それで成功したという人もいるけど、僕は全然違うと思う。さっき言ったことがアイツの根本にあって、技術もあったし、途中からドンドン成長力も見せたし。そういう意味では、損をしているという言い方は悪いけど、そういう風に見られがちなキャラクターだよね。人当たりが良いから、逆に叩かれる場合もあるじゃない?でも、2人ともまだ100勝に行かない時はやっぱりお互いに意識はしていましたね。僕はJRAを受けていましたから、デビューが多分3年くらい遅いから、(年齢差が)5個差で、おそらくデビューが2個差くらいですね。そんなに変わらないですからね。一緒にやっていった意識は強いですよ。