
前川恭子調教師インタビュー これまでの足跡と未来への展望
2025/3/17(月)
JRA日本中央競馬会が発足して70年――。日本初の女性調教師誕生に、多くの期待と希望が寄せられている。いかにして、調教師・前川恭子は生まれたのか。これまでの足跡をたどりながら、未来への展望を伺った。

—— まずは競馬界に踏み出されたきっかけから。どのようにして競馬に関心を持たれたのですか?
もともと筑波大学の馬術部に所属していたんです。その時、美浦トレセンの乗馬苑でアルバイトをしたことがきっかけで、競走馬に携わる仕事があることを初めて知り、調教師になることが夢になりました。大学卒業と同時に、迷わず競馬学校入学を目指す研修制度を使い、浦河のビクトリーホースランチでお世話になりました。
——2年間の牧場経験を経て、次に進まれた先は海外。アイルランドに渡られた経緯は?
競馬学校の厩務員課程には年4回入学する機会があるんです。そのタイミングを後半にすると3カ月ほど空き時間ができました。その3カ月を使えばアイルランドに行ける、と思ったんです。“アイルランドの調教は日本とは違う”とよく耳にしますよね。ならば本場の調教はどう違うのか知りたい、と。
とはいえ何の伝手もありません。知人が当時アイルランドで調教師をされていた児玉敬師につないでくれたことで、何とか糸口をつかめました。さらに児玉調教師がコン・コリンズ厩舎にご紹介くださって、思いが実現しました。

——実際にアイルランドのコリンズ厩舎で働いてみていかがでしたか?
非常に働きやすい環境でした。女の子が多かったですよ。私以外にも外国の方がたくさん働いていました。でも、トレセンで競走馬の調教を経験してからアイルランドに行った方が良かったなと思いました(笑)。
——調教する馬場や環境も日本とは違ったと思います。
ラチのない大草原には羊もウロウロしていましたからね(笑)。そこで調教するんですから日本とは全然違いますよね。コン・コリンズ調教師は高齢だったので、実質的な厩舎運営は調教師免許を持っている娘さんがされていました。コリンズ師の娘さんはパワーと包容力に溢れていたことを今でもよく覚えています。

——2003年10月、帰国されると栗東の崎山博樹厩舎で厩務員としての生活が始まりましたね。
当時のトレセンにも女性はいましたが、まだまだ少数でした。今よりは働きづらかったように思います。最初は調教師になることを目標にしていましたが、すぐに甘い考えだったと感じました。まず競走馬についてもよく知りませんでしたから。
もともと馬が大好きだったから飛び込んだ世界です。携わった馬にはただただ長く幸せに生きて欲しいと思っていました。そこは今も変わりません。
JRAから地方競馬に転出する馬もいますし、新天地にたどり着けない馬もいます。そんな馬も知り合いにリトレーニングしてもらって乗馬になる道をつくりたい。どんな馬も、長生きしてくれる道を歩めたらと模索してきました。もっと乗馬を増やしたかったんです。

——心から馬が好きだという気持ちを胸に厩務員からすぐに調教助手(持ち乗り)になりました。2008年には担当馬のウエスタンダンサーで京阪杯を勝たれましたが、その時のお気持ちは?
この年はもう一頭の担当馬ナリタブラックも走ってくれて、稼がせてもらいました(笑)。ナリタブラックは人から回ってきた馬だったので、その馬が走ってくれて。ラッキーでした。
崎山厩舎解散を経て坂口智康厩舎へ
——2018年に崎山先生が亡くなられて、その後は2019年に新規開業した坂口智康厩舎へ移ることに。これまでと全く違う、新しい厩舎での仕事はどんな感じでしたか?
崎山厩舎では自分の馬2頭だけを担当するという昔ながらのやり方でした。坂口智康厩舎は担当馬に関係なく、みんなで協力して効率よく馬に携わるという方針でした。全く別の働き方にはなりましたが、思ったほど戸惑わなかったです。むしろ、チームで協力するのは良いなと感じました。
——開業前に“今どきのやり方”を経験できたのは大きな収穫ですね。
それはありますね。自分が開業したときにとる方針によってスタッフがどう感じるのかを身をもって経験できましたからね。

——この時期から調教師試験を受けていたんですね。
坂口智康厩舎では、スタッフが何とか馬を走らせようと日常的に話していました。こういったやる気に満ちた方たちと一緒に働いていけるなら、調教師になるのもいいなと思いました。70歳までこの仕事を続けるわけですからね。
——難関の調教師試験を5回目で合格しました。
40歳を過ぎてから受け始めたので記憶力の衰えには苦労しました。元々、テストは得意でしたが、暗記科目が苦手で(笑)。調教師試験で言うと法規を覚えるのが一番難しかったです。馬学など普段から考えている分野は苦になりませんでした。

——合格発表は2023年12月7日。2024年度から調教師免許が交付されました。JRA初の女性調教師として名が刻まれました。
「出走回数を多くしたい」「可能性があるなら世界中どこにでも行きたい」。これが私の理想像です。それを実践されている矢作芳人厩舎で技術調教師として研修させていただけたことは本当にありがたいことでした。ほとんど面識のなかった矢作先生にお願いしてご快諾いただけたことに、心から感謝しています。
矢作厩舎で見た“強さの秘訣”
——矢作流を肌で感じた1年はどのような日々でしたか?
「どのレースに出走するのか?」。矢作厩舎では幅広い候補をあげ、登録締め切りギリギリまで最も戦いやすいレースを探っていました。つまりあらかじめジョッキーを抑えずに最善の結果が出そうなレースを突き詰めていく。その柔軟さと信念は圧巻でした。
——ほかに矢作厩舎の強さの秘訣を感じたことは?
調教でのEコースでの集団調教も矢作厩舎ならではですね。縦列になるので馬と馬の間隔が狭くなる分、乗り手の技術も問われるんです。

——集団調教をすると馬にどんな変化がありましたか?
走る時の馬の姿勢が起きてくるんです。馬のフットワークが伸びすぎず詰まってくるのも効果としてあります。実際、昨年の夏場は人手が足りず集団調教ができなかったのですが、秋になって人が戻り、集団調教ができるようになると勝ち星が増えた。結果が出ていることは素直に取り入れたいなと思います。
——ドバイやケンタッキーダービー、ブリーダーズカップにも同行されましたね。
本当に貴重な経験で、振り返るとあっという間でした。楽しい時間はすぐ終わりますね。
初戦は障害馬テクネチウムを芝2000mで
——念願だった調教師になって初めてのレースを迎えるのは感慨無量だったのでは?
みなさんにそう言われるんですが、意外に淡々と迎えました。調教師になることが目的ではなかったので、ここから管理馬を走らせることの方が大事だと思っています。
——2025年3月9日、阪神7Rの芝2000m。初戦に挑んだのは木原厩舎から引き継いだテクネチウムでした。ダートの未勝利戦を5回使うも勝てず、障害レースに挑戦すると2戦目には3着と好走、障害転向4戦目で念願の初勝利を挙げた馬ですね。そんなテクネチウムを芝の2000mに使った狙いとは?

調教での動きが良いことと、芝の長いところなら出走頭数も少ないと考えたことから、初の芝2000mへの出走を決めました。障害で乗っている小野寺騎手から「結構行きっぷりがいい馬」だと聞いたので、障害に戻っても引っ掛からないように、今回は抑えて後ろからのレースになりました。
もう少し先行させられたら、もっと良いところがありそうな気はしました。テクネチウムの可能性は広がったんじゃないでしょうか。
——記念すべき初陣が先につながりそうなレースで良かったですね。
レースを終えて無事に戻ってきてくれたことが何よりですね。ただただほっとしています。
——前川先生だけではなくスタッフもスーツで正装していたことが印象的でした。

一頭の競走馬がレースに出走するまでには、本当に多くの人が携わっています。頑張って走ってくれる馬にも、これまで関わった人たちにも敬意を表す意味で、きちんとした身なりで立ち合おうと思っています。
20馬房で開業! 独自の調教で高みを目指す
——新規開業する厩舎の馬房数は年によって違います。最初から20馬房でスタートできるのはいいですよね?
馬房数が多いに越したことはないのでありがたいです。反面、空き馬房があれば洗濯物を干したりと使い道もあって。厩舎に空きスペースがないのが難点なので、今後は足りないものを補充して、働きやすい環境にしていきたいと思っています。
——管理頭数も2歳を除いて29頭と揃いました。その中には重賞を3勝しているモズメイメイもいます。

怪我で休養中の馬もいますから、在厩している馬を上手に使っていかなくてはと考えています。音無厩舎時代のモズメイメイは坂路で乗っていましたが、うちの厩舎ではコース調教も取り入れていこうと思います。調教での変化を確認しながら良い状態で高松宮記念に向かいたいです。
——開業一カ月でG1に出走するのも凄いですね。前川厩舎の調教服といえばパステルブルー。馬場でも見やすく一目で前川厩舎だとわかる色ですね。

他の厩舎とかぶらない色って難しいですよね。崎山厩舎は黒と黄色でしたが、その配色だと藤岡健厩舎や岡田厩舎とかぶる。悩んだ末にパステル系の水色にしました。
——男社会の中に入っても簡単に溶け込む素質があるのが前川師の強味だと感じます。預託馬のオーナーにとっても前川厩舎にとっても、きっと喉から手が出るほど欲しいのが「結果」。スタッフとの対話を重ね、その先頭に立ってどんな采配を見せてくれるのか。この先が楽しみです。

プロフィール
【前川 恭子】Kyoko Maekawa
1977年、千葉県生まれ。11歳から乗馬をはじめ、筑波大学では馬術部に所属。在学中に美浦トレーニングセンター内の乗馬苑で競走馬と出会い、調教師を志す。2003年、JRA競馬学校厩務員課程を経て、厩務員、調教助手となり、2023年、調教師試験に合格。2025年、栗東トレーニングセンターにて開業。