ゼロからのスタート 諦めずジョッキーの道へ

成瀬琴(以下琴):今回のゲストは、デビュー6年目のホープ・原優介ジョッキーに来ていただきました!原ジョッキーとははじめまして、ですね。よろしくお願いします!

原優介騎手(以下優):はじめまして、よろしくお願いします!

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琴:まず今年で6年目を迎えられた原ジョッキーですが、まずはここまでのジョッキー人生を振り返ってみて、点数をつけるとしたら大体何点くらいでしょうか?

優:60点くらいかなと思っています。1年目に最初に所属していた武井厩舎を出ることになったタイミングで小桧山厩舎に所属させて頂いたのですが、小桧山先生の助けがなかったら多分、とっくにジョッキーを辞めていると思っています。

色々な人に助けていただきながら何とか6年目までやってこれました。思い描いていた結果が出せていないというところで60点かなと思っています。

ただ、あの時こうすればもっと上に行けたというような後悔はあまりないんです。その時々で全力を出し切っていたつもりなので。

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琴:そんな原ジョッキーがこれまでのジョッキー人生で一番嬉しかったこと、一番悔しかったことを伺ってみたいです。

優:昨年、海外G1のドバイワールドCウィルソンテソーロに乗せていただいたことは嬉しかったです。楽しかったですし、モチベーションがそこで一気に上がったと思います。

悔しかったのは、昨年のフラワーCホーエリートですね。重賞を勝つチャンスがあった中で、自信はかなりあって…。当日も上手く乗れればというところで僕の技術不足で勝てず、あれは勝てたレースだったかなと思う2着でした。本当に悔しかったですね。

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琴:ジョッキーを目指すキッカケは何だったのでしょうか?

優:表向きは職業調べでジョッキーを見つけたことにしてるんですが、これは競馬学校の面接用で(笑)。本当は競馬ゲームの"ウイニングポスト"や"Champion Jockey"にハマっていて、その延長線で競馬に興味を持ちはじめました。

身長も小さかったですし、当時ジョッキーを目指した時の体重は今と同じくらいの52kgだったので、10kgぐらい体重を絞って競馬学校を受験しました。あの時の減量は大変でしたね…。

琴:競馬学校は高校1年生の時に受けられて合格されたとのことですが、中学3年生の時には受けなかったのでしょうか?

優:母親の反対で受けさせてもらえなかったんです。当時は水泳をやっていて、高校も水泳を続ける前提で選んだので、今更何を言ってるのと言われて競馬学校を受けさせてもらえませんでした。それで渋々ながら高校に進みました。

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琴:それでも諦めず、高校1年生の時に競馬学校を受けられたのですね。

優:高校に進んでもやはり競馬の道に進みたいと思い、地面にめり込むくらい土下座をして親を説得しました(笑)

琴:周りに競馬関係者がいないとお聞きしていますが、その中での受験は大変だったのではないでしょうか?

優:そうですね、自分で願書を取り寄せたり、どういう試験内容があるのか、全部自分で調べて対策して臨みました。対策は手探りでしたね…。

一番の不安は二次面接だったんです。ここでは両親の面談があったので、仮に一次面接を通っても、両親が来てくれないのではと思ったので、本当にそこが一番不安でした。

一次試験は絶対に受かってやるというモチベーションで臨んだので、仮に受かった時に来てくれなかったらどうしようと…。

琴:その中で無事合格されたわけですが、競馬学校に合格された時のお母様の反応はいかがでしたか?

優:意外とすんなり、むしろ応援するよという感じでした(笑)。そこからは応援してくれて、今も一番のファンではないかと思うほど応援してくれています。ありがたいです。

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琴:受験前、乗馬経験はあったのでしょうか?

優:なかったんです。体験乗馬はやったことがあるみたいなレベルで、受かってから近くの乗馬クラブにちょっとずつ通い始め、競馬学校入学半年前には高校をやめて、競馬学校の生徒になる前に特別レッスンに近いものを受けて、何とか授業が進められる程度にはなりました。

琴:特別レッスンを受けたのは36期では原ジョッキーだけだったのでしょうか?

優:古川奈穂も同じでしたね。彼女も高校を辞めて同じ立場だったので、二人でお尻の皮がズル剥けるほど毎日乗馬して…。

琴:36期はどんな期でしたか?

優:本当にしょうもないことばっかり言っていた期です(笑)。中身のない話、中身のない行動しかしないような…。

琴:36期生では原騎手と古川騎手が1つ年上でしたが、お二人がまとめ役みたいな感じだったのでしょうか。

優:教官たちもそういう役割を求めていたんでしょうけど、一緒になってふざけますし、目論見としては大幅に外れていたと思います(笑)

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琴:一番仲が良かったのはどなたでしょう?

優:皆でふざけていたので皆と仲良い感じでしたが、(小林)脩斗とは今でもたまにご飯を食べに行ったりしますし、一番仲良かったと思いますね。

琴:そんな競馬学校時代で一番楽しかったこと、一番悔しかったことは何でしょうか。

優:一番楽しかったことは、どのタイミングかは忘れましたが、より本格的な騎乗技術を測る走路試験で得点が1番良かったことです。乗馬未経験から始めた僕からすると、そこで評価されたことがかなり嬉しくて。スタートが遅くても競馬学校で点数をつけてもらえたことが一番嬉しかったですね。

一番悔しかったのは、競馬学校に入学する前の特別レッスンである程度乗れるようになって、これなら競馬学校に入ってもついていけるかも…と思ったのですが、いざ一緒に実技を始めてみると周りと圧倒的なレベル差を感じてしまって。

絶望でしたね。こんなの3年間あっても追いつけないだろうと思ってしまいました。相当悔しかったですし、この先大丈夫なのかなと。最初にどん底を味わいましたね。そこからはもう上がるだけなので、気持ちはどんどん楽になりましたが。

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苦労を重ね掴んだ初勝利

琴:努力を重ねて無事デビューされた原ジョッキーですが、勝ちたいレースに"調布特別"の名前があったのが印象的でした(笑)

優:東京の調布出身なので、ただそれだけですね(笑)

琴:新人騎手のプロフィール、勝ちたいレースの欄には凱旋門賞、日本ダービーとビッグレースが並んでいる中、一人だけ調布特別と書いてあったのは大きく目立っていました。

優:もちろんたくさん依頼いただいているので、重賞など大きいレースも勝ちたいと思ってはいますけれど、特別思い入れのある調布の名前がついたレースは勝ちたいですね。もう1つの理由としては、目立ちたがり屋なので、目立つようにという狙いもありました。

琴:ちなみに今年の調布特別はオークスデーの5月25日だそうです。

優:まずは騎乗依頼があることを願っております(笑)

"令和の穴男"原優介の騎乗哲学に迫る

琴:デビューしてから6年目、デビュー当初から自分のここが一番伸びたと感じている点はありますか?

優:馬乗りとしての騎乗技術が伸びたなと思っています。ここが伸びると返し馬の精度が凄く高くなりますし、より短い時間で馬を手の内に入れることが出来るようになったなと感じています。

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琴:逆に今、一番課題としている部分はありますか?

優:データ上でハッキリと出ているんですが、ダートが得意な反面、芝のレースの勝ち星があまり伸びていないので、そこが課題だと思っています。

琴:このインタビューの開催日である4月9日の時点で芝が29勝、ダートが62勝となっていますが、個人的にどちらが好きというのはありますか?

優:いやもうダートですね(笑)。やっぱり経験値がありますし、ダートの方が馬場補正が入りにくく、傾向が出やすいと見ています。そういった意味で、ダートのほうが乗り方を決める時に迷わないこともあり、ダートの方が好きです。

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琴:原騎手といえば度々大穴を開ける"穴男"としてファンの中でもお馴染みです。3月22日、ダート1200mの中山7R・4歳上2勝クラスでは15番人気のスマイルアップで勝利されました。単勝オッズは279.9倍でしたが、普通のオッズで勝つよりも嬉しさは倍増するものなのでしょうか。

優:いやもう、仕事したなと自分でも思います。一時は単勝100倍以下の馬で勝つと少し物足りなく感じるくらいでした(笑)。これで5年連続で単勝万馬券の馬で勝利を挙げているのですが、仕事したなという感じが定期的に得られて、僕は幸せです。

琴:人気薄の馬に騎乗する際はより意識されるものでしょうか。

優:人気していなければしていないほど燃えますね。前のレースで騎乗されていたジョッキーよりも1つでも着順を上げたい気持ちがありますし、評価を覆すという意味でも目立つので。

何といっても人気薄の馬で勝つと、個人的にはより"仕事したな"という感じがするので、モチベーションは上がります。

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琴:大穴を開けるコツというか、何か意識されているところはありますか?

優:返し馬でその馬の課題を見つけて、それに合ったコンセプトを持って返し馬をすることですね。僕もちょっとずつ技術が上がってきたので、その分結果もマッチしてきたのかなと思います。

あとは好走パターンの割り出しです。これはレース前の準備ですが、こうやったら走るんだろうなという見極め、好走パターンを分析して当てはめていく作業はしています。