元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
Go Go ミルコ
2016/3/3(木)
そんな中、息子と義父と同じ誕生日のマラソン選手、福士加代子さんが話題になっていますね。前回の大会で好記録での優勝をしたにも関わらず、次の大会次第ではオリンピック選手に選ばれないかもしれないという不可解な選出方法から名古屋での大会に参加を表明しました。しかし、陸連からは出場しないで欲しいという要望。選手からすれば、確定がもらえない限り、挑戦したくなりますよね。最終的に出場しない方向で決まったようですが、毎回、この様に荒れる選出方法を改善しなければ、納得もできませんよね。競馬のように獲得賞金毎に選ばれる、サッカーのように監督の好みですと言い切ってくれる方がまだ納得できるかも知れません。
それでは競馬の話に参りましょう!先週の土日、両日共に、またもやミルコがやってくれましたね!土曜日に阪神競馬場で行われたアーリントンCでは、力が拮抗している中、見事レインボーラインを勝利へと導きました。パドックでの周回で非常に良く見えていたのですが、4コーナーから直線に掛けて、あれ?流石にこれは無理か?と思った矢先に外から来たロワアブソリューと合わせる形から一気に伸びを見せての勝利は見事としか言いようがありませんでしたね。しかし、この勝利には疑問が残りました。勝利後の裁決レポートによると、進路を妨害したとしてミルコには1万円の罰金、外にいたヴェロン騎手は戒告となっていました。元騎手の立場からすれば、直線で内に小牧騎手を押し込んでいたのはヴェロン騎手に見えたんですけどね。少し疑問になった裁決レポートだったと思います。
日曜日は開催日連続5日で重賞を、自らのJRA500勝でミルコ・デムーロが飾りました。本当に記録もそうですが、記憶に残る男ですね。その上、ファンの皆様や私も含め、皆が待ちに待ったドゥラメンテが中山記念で帰ってきました。9ヶ月ぶりのレースに8割程のデキにして、スタートを見事に決めると、中山コース独特の下り坂を活かして早めに抜け出し、最後はダービーを思い出すかの様に他馬を待ってるかのようにゴールしましたね。しかも、斤量も同い年のライバルに比べて2キロも重いことを考えれば、これ程までに完璧な復活はなかったのではないでしょうか。あれだけ道中で我慢が利くようになれば、2400mも自在にこなせるはず。怪物の復活に、日本競馬界の新たな光が見えたレースだったと思います。
今後はドバイに挑戦するのかどうかに注目が集まりますね。私個人としては、ドバイに行っても勝てると思っています。が、凱旋門賞を狙うのであれば、やはり疲労を考えた場合、賛成とは言い切れませんね。ドバイに行くのであれば、そのままフランスに渡り現地で調整、前哨戦と挑んで欲しいと思いますね。既にブックメーカーでも1番人気になっている日本の怪物に私達の未来を託し、記録男ミルコが、新たな記録を残してくれることを願っています。そして、ミルコ、500勝おめでとう!これだけ勝てるのは、常に努力を続けている結果だと思います。記念パーカー、また待ってる(笑)!!
今週はそんなミルコの新記録に注目が集まるチューリップ賞に弥生賞が行われます。チューリップ賞は以下の3頭に注目が集まるのではないでしょうか。まずはミルコのジュエラーになりますね。父はミルコと共にドバイを制したヴィクトワールピサという点でも注目ですし、あのカミソリの様なキレ味は本物だと思います。仕掛け所が難しくなるだけに騎乗に託される部分は多くなるでしょうね。2番目には記録ホルダー豊ちゃんのレッドアヴァンセになりますね。二度、ミルコに記録を阻まれた天才が、ここでリベンジしてくるのは必然ではないかなとも思っています。新馬戦、未勝利と前が壁になった不運がありましたが、こちらも能力は本物でしょうね。そして、最後の1頭がシンハライトになります。前走はゲートで悪いところを見せるも何とか勝ち上がった面と、騎乗する謙一君のここ一番での強さは、まさに恐怖のコンビとして見られるでしょう。
弥生賞では最強世代の王者リオンディーズに、期待の星マカヒキ、そしてリベンジを誓うエアスピネルの3頭にこちらも注目が集まるでしょうね。サトノダイヤモンドを入れた、まさにダイヤモンドのような4頭が凌ぎを削る牡馬クラシック戦線に、万全の体制で挑むのはどの馬か?記録と記憶を期待しつつ、今週も競馬をチェックしましょう!
プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。