'14~'16年とJRA最多勝利騎手&MVJに輝いた戸崎圭太騎手による、大井競馬在籍時代から続く
人気コーナー!トップジョッキーならではの本音、レースへの意気込みをお届けします!
11月18日時点1558勝
【本人メッセージの追記あり】戸崎圭太騎手の落馬負傷について
2019/11/8(金)
※連載再開は11月16日(土)を予定しています!
いつも競馬ラボおよび『週刊!戸崎圭太』をご覧いただきありがとうございます。
ご存知の方も多いと思いますが、11月4日(祝・月)に浦和競馬場で行われたJBCレディスクラシックにて戸崎騎手が落馬。負傷のため、以降のレースは乗り替わり、近隣の病院に緊急搬送されました。
病院での正式な診断は右肘の開放骨折とのこと。6日には手術を終えており、近日中には退院の見込みですが、現時点での全治期間は不明とのことです。なお、レースの騎乗馬モンペルデュ(牝3、栗東・松永幹厩舎)は外傷を負ったものの、脚元の怪我はなかったと聞いております。
肘の負傷ということもあり、馬を追うこと、ステッキを入れる動作にも関わる箇所でもあります。また、肘から手への連動を考慮しても手綱を扱うことにかけても繊細な部分です。幸い落馬後も意識がしっかりしていましたし、体が動かせるようになってから、回復具合と相談しつつ、復帰時期を見極めていくことになるのではないでしょうか。今回はご本人の声を期待された方も多いと思いますが、これまで大井競馬在籍時代も含め、本人の声をしっかり届けることをテーマに置いていたコーナーでもあり、退院されてからタイミングを見計らってコメントをいただこうと思います。
浦和競馬場の救護室に担架で運び込まれた姿を見て、僕も声を失いましたが、救護室にはレースの合間にも関わらず数多くのジョッキー仲間が身を案じて駆けつけていました。怪我から数日ですが、JRA移籍以降の7年、目立った事故や怪我なく、順調に乗り続けられていたことの凄さを改めて感じさせられる次第です。
大井時代に鎖骨を骨折されて以来の長期戦線離脱と記憶していますが、2013年以降という区切りでJRAで最も騎乗してきたジョッキーは戸崎騎手。その数、6307鞍。続いて6272鞍の幸英明騎手、6257鞍の和田竜二騎手で6000以上は3名しかいません。ここまで無事に乗り続けられていたのもトレーニングや食事療法など…ご本人の精神力、自己管理の賜物だったでしょう。そんな戸崎騎手だからこそ、しっかりとリハビリを施して、遠くない時期に復帰してくれるのではないかと期待しています。
日々、ファンの皆さんも騎乗を通して喜びも悔しさも感じてきたと思いますが、それも戸崎圭太騎手の元気な姿があってこそ。今はまたその日が来ることを待ちましょう。
と、最後に一言。好きなジョッキーがいなければレースそのものも観ないという考えもあるかもしれませんが、「他の騎手が乗っていたら、どんな走りをするのか。戸崎騎手なら、どんなレースをしていたのか」とイメージするのも競馬の楽しみ方だと思います。不在時も継続的な観戦をオススメします。
(競馬ラボ・小野田)
ということで復帰を目指す戸崎騎手への応援メッセージを募ります。
keita_tosaki@keibalab.jpまで[お名前またはペンネーム]をお書き添えの上、メールでご投稿ください。数次第ですが、多ければご本人にもお渡ししようと思います。
と、ここで追記です!先程、ご本人からのメッセージをいただきました(8日20時00分更新)。
【戸崎圭太騎手のコメント】
「ファンの皆さんにもご心配をおかけして申し訳ありません。6日には手術も終わり、もう近日中には退院する予定です。ただ、すぐに復帰できる状況ではないですし、時間がかかると思いますが、じっくり治して戻ろうと思います。
今回の落馬で大井の後輩の矢野(貴之騎手)が騎乗停止の制裁を受けてはいますが、こうなったのも自分の中途半端な判断や、レースをしてしまったことによる結果とは重々承知しています。矢野もスタートの上手いジョッキーですし、スタートが重要な浦和競馬場だったりと悪い方に条件が重なってしまい、起きてしまった事故です。決して矢野だけが悪いわけではありません。
今後は今までとは違った形ですが、毎週、この場をお借りして何かしら発信させていただくことにしました。内容は未定ですけどね…。レースで乗れないことは歯がゆいですが、こうした形で競馬を見るのも一つの勉強、いい経験だと思います。下を向いてもしょうがないので前向きに頑張っていきたいと思います。トンボじゃないけどね(笑)。またレースに戻る時がきたら、応援していただければ嬉しいです」
プロフィール
戸崎 圭太 - Keita Tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。99年に大井競馬の香取和孝厩舎所属としてデビュー。初騎乗、初勝利を飾るなど若手時代から存在感を放っていたが、本格的に頭角を現したのは08年で306勝をマークし、初めて地方全国リーディング獲得した頃から。次第に中央競馬でのスポット参戦も増えていった。
11年には地方競馬在籍の身ながらも、安田記念を制して初のJRAG1勝ち。その名を全国に知らしめると、中央移籍の意向を表明し、JRA騎手試験を2度目の受験。自身3度目の挑戦で晴れて合格し、13年3月から中央入りを果たした。移籍2年目はジェンティルドンナで有馬記念を制す劇的な幕引きで初の中央リーディング(146勝)を獲得。16年も開催最終週までにもつれた争いを制し、3年連続のJRAリーディングに。史上初となる制裁点ゼロでのリーディングだった。19年にはJRA通算1000勝を達成、史上4人目のNARとのダブル1000勝となった。プライベートでは2022年より剣道道場・川崎真道館道場の総代表を務めている。