続・北北の話(10/24)

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 激戦の秋、死闘の秋、です。秋華賞、またまた際どい写真判定、そして降着。その余韻をたっぷり引きずっての菊花賞も、なにやら危険な香りが漂っています。

 「いやあ、ヒヤリとしたよ。ゴール前は祈ったね、久々に。その祈りが通じて、降着のおまけまでつけてくれたよ」TC紙のN記者、ふてぶてしさが売りのベテラン馬券記者が珍しく笑顔です。三度目の正直ということで、レッドディザイアの1着固定、3連単で勝負に出ていました。ブエナビスタが届いていれば一巻の終わりだったのが、何とか持ちこたえました。さらに、そのブエナビスタが降着で、ブロードストリートと着順が入れ替わり、配当も増えたのでした。

 N記者、秋華賞当日は京都競馬場に乗り込んでいましたが、ふと忌まわしい過去が蘇りました。1987年、春の天皇賞でのことでした。人気を分け合ったミホシンザンとニシノライデンが内と外に離れて接戦でゴール。際どい写真判定の末に、ミホシンザンが勝ちました。さらに、ニシノライデンは失格(当時はまだ降着制度は導入されていませんでした)となり、2着にはアサヒエンペラーが繰り上がりました。この裁定が下された瞬間、京都競馬場の検量室で派手なガッツポーズをした不届きな関東の馬券記者が何人かいてひんしゅくを買ったのです。その中の一人が、当時、売り出し中の若手だったN記者だったのです。

 「へぇ~、そんなことがあったんですか。僕はまだ小学生で馬券に染まっていませんでしたからね、その頃は。今回はNさん、案外、冷静でしたよ。こっちはブロードストリートのスーパー頑張りと、降着制度のおかげでガックリしていたんですけど…」と言うのは、やはり京都競馬場に居合わせたSS紙のK記者です。ブロードストリートは4コーナーでブエナビスタに進路をカットされて致命的な不利を受け、普通なら惨敗のケース。それなのに内から鋭く伸びて3着に入線しました。

 「持っていたんですよ、4着入線のクーデグレイスが、2着でも、3着にでも繰り上がってくれれば的中していた馬券を」とK記者。つまり、ブロードストリートが頑張らなければ、そしてブエナビスタが降着ではなく失格になっていればK記者はちょっとした財産を築けたというわけです。

 「勝負事にレバ、タラは禁物なんだよ」とN記者はクールさを装っていますが、ニシノライデン事件の時の過ちを踏みとどまらせてくれた20数年の歳月とキャリアに、感謝すべきでしょう。

 「今、門別です!!」もう一人、ガックリきているはずの北大生、すすきの馬券連の学生君ですが、携帯電話の声は弾んでいました。

 ブエナビスタの3冠を見届けようと京都競馬場に乗り込んでいたのですが「ドラマチックな散り方でした。それもブエナビスタの武勇伝のひとつなんです」と納得しているようです。新潟、高知、中山、東京、京都と続いた旅打ちから久しぶりにフランチャイズの札幌に帰っていたのですが、この日は門別ナイターに乗り込んだようです。

 「交流重賞で武豊騎手が道営の馬に騎乗するんです」と学生君がレポートするのは、2歳牝馬の交流重賞・エーデルワイス賞でした。武豊騎手は中央馬での騎乗予定はなかったのですが、断然人気になりそうな道営馬、オノユウ陣営からオファーがあっての騎乗実現でした。

 「主戦の山口竜一騎手が帯状疱疹にかかってダウンしたんです。Hさんが教えてくれました」と学生君。Hさんとは昨年、旭川競馬に旅打ちに乗り込んだときに知り合った道営競馬の元調教師のことです。引退してからは馬券三昧の優雅な毎日を送っている御仁なのです。

 「オノユウ、勝ちました!!強いですよ、これは。中央から参戦していた4頭はどれも惨敗です」と学生君。武豊騎乗のオノユウの単勝的中馬券をゲットできてご満悦の様子。

 「さあ、菊花賞、枠順も確定しましたね。さすがに今週はテレビ観戦です。今週も春のリベンジ、ダービー2着のリーチザクラウン、武騎手に頑張ってもらいますよ。ネットでチェックしたら、追い切り後の馬体重が518キロ。神戸新聞杯で減っていた馬体も完全に回復していますからね。それと、Hさんがおすすめのナカヤマフェスタも買います」と学生君は、道営競馬の元調教師、Hさんからもしっかり情報を仕入れて気合いが入っています。(第60話終了)